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ゲド戦記 (2006)

TALES FROM EARTHSEA

監督
宮崎吾朗
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2.34 / 評価:7900件

解説

アメリカの女流作家アーシュラ・K・ル=グウィンの「ゲド戦記」シリーズを、スタジオジブリが映像化したファンタジー・アニメ超大作。宮崎駿監督の実子である宮崎吾朗がメガホンを取り、少年アレンと大賢人ゲドの旅を通じて混迷する時代を生き抜くためのメッセージを投げかける。V6の岡田准一、菅原文太ら新旧の実力派が存在感ある声の演技を披露するほか、主題歌と挿入歌も担当した手嶌葵の圧倒的な美声にも心奪われる感動巨編。

シネマトゥデイ (外部リンク)

あらすじ

多島海世界のアースシーでは、聖なる生物の竜が共食いを始め、農民は田畑を捨て、職人は技を忘れていくなどさまざまな異変が起こり始めていた。やがて人々が魔法を信じることができなくなったとき、大賢人ゲドは世界のバランスを崩す者の正体を突き止めるための旅に出て、国を捨てた王子アレンと出会う。

シネマトゥデイ (外部リンク)

映画レポート

(C)2006二馬力・GNDHDDT
(C)2006二馬力・GNDHDDT

「ゲド戦記」屈折してはいるが照れの無い逞しい創作態度

 「世界の均衡が崩れつつある」と、現代の諸相を否応にも想起させるテーマをぐっと突きつけてみせる本作。確かに語られる言葉には説得力があるのだが、それはあくまで物語の真意を読み解くためのキーワードでしかない。ドッペルゲンガーのように可視化する「自らの影」、そして「まことの名」の概念をダイナミックに視覚化するラストは「千と千尋の神隠し」にも似て、今更ながらにジブリ作品と「ゲド戦記」との深い関わりを思わせるのである。長大な原作をまとめるのに、父・駿の絵物語「シュナの旅」の枠組を援用するのは微妙な反則技にしろ(笑)、主人公アレンを“親殺し”の王子として設定するなど、屈折してはいるが照れがなく逞しい、息子・吾朗の創作態度を示して好ましいではないか。

 人物の動きだけではなく、ブリューゲル風の筆のタッチや東欧・アジアの象徴的表現を多用した美術は、シンプルではあるものの明確かつ的確。作家の脳内を通過した「絵」というのはアニメーションの基本であったはずで、これはCGの台頭により現実のコピーへと倒錯しがちなアニメ風潮へのアンチテーゼでもあるはずだ。ことにアレンとテルーが心を通わせる中盤など、「世界の均衡と崩壊」を常に描いてきたテレンス・マリックの映画にも似て無性に美しい。(ミルクマン斉藤)

映画.com(外部リンク)

2006年7月27日 更新

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