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マンダレイ (2005)

MANDERLAY

監督
ラース・フォン・トリアー
  • みたいムービー 125
  • みたログ 451

3.63 / 評価:120件

自由か民主主義

  • the***** さん
  • 2008年1月5日 15時22分
  • 閲覧数 170
  • 役立ち度 2
    • 総合評価
    • ★★★★★

 
 はっきりした人種差別を幸いにも身近にいまいち実感できない日本人の自分にとっては、身近に理解しあえない人達(身近に世代間がある人達の差や負け組、勝ち組の人達?)に置き換えて考えさせられる映画でした。


 主人公グレースは自由、民主主義という綺麗な文句を掲げて言ってる事は学校や教科書では大正解なことです。
 でも実際やってることは結果的に前の奴隷女主人とほとんど変わりません。
 住民全体が生活していけるように考えれば考えるほど、もとの奴隷女主人のやっていることと大して変わらなくなり、住民の生活は自由が出来た分、前よりもちょっとひどくなってしまうという矛盾と皮肉が込められています。
 そして最後には一番信頼していたティモシーに騙されていたと気づき、グレースはこの町を見限ってしまいます。
 
 結局黒人たちを受け入れる下地の出来ていないこの国で最低限問題なく暮らしていくためには、自由や民主主義なんていう看板だけの美辞麗句は存在しないのを受け入れ、今でも実際は奴隷制度は続いているんだと認識するんだとこの映画は言っているように感じました。

 では黒人たちを受け入れる下地とは一体なんでしょう?
 この物語だと黒人のティモシーの罪を許すことなのかもしれません。
 人間誰でも罪を犯しますが、自分と異質な者が犯した罪ほど理解することをせずできず、許すことが出来ない気持ちが強くなる気がします。
 その罪を許す寛容な気持ちというのが受け入れる下地なのかもしれません。

 しかし、寛容すぎると人間の汚い心の部分が現れ立場が逆転して一作目のドッグヴィルのような悲劇がまた起こってしまうのかもしれません。


 また自由と民主主義というものは相反するものだなと改めて思ってしまいました。
 出来るだけ多くのみんなの利益を考えれば考えるほど、この映画のようにルールがどんどん増えていき自由は奪われていきます。
 自由と民主主義という言葉は並べて使うものでなく、自由か民主主義のように使うものではないんでしょうか。
 今の社会で本当の自由を得られるのは生まれ持っての大金持ち、天才的な芸術家とか誰にも相手にされない人生の落伍者ぐらいなのかなと思い、悲しくなってしまいました。

 救いのない映画ですが、とても現実的で深く納得してしまいます。
 多分ないと思いますが次の三作目でちょっとでも光を見せていただけると有難いです。 

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

イメージワード

  • 知的
  • 絶望的
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