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麦の穂をゆらす風
2006年11月18日公開

麦の穂をゆらす風

THE WIND THAT SHAKES THE BARLEY

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5.0

美しい【緑】のなかの悲劇

日本では大正10年前後という時代。1920年頃の話で、舞台は、英国本国のすぐ横にあるアイルランド島のコークという田舎町。 アイルランドの独立に命を賭け、死んでいった名も無き人々の物語ですが、地味ながら「真摯で静かな眼差し」に貫かれた秀作です。 私は歴史が好きなのですが、劇場で初めて観たときは、このアイルランド内戦はちょっとわかりづらいなと思いました。800年ちかく英国の支配下にあったアイルランドの独立の歴史は、私たち日本人には複雑です。 特にアイルランド人同士の内戦があるため、からみついた髪の毛のように、ほぐすことのできない難解さが内包されています。 私の場合、劇場で観たあと、たまたま同じテーマを扱った映画『マイケル・コリンズ』(1996年)を観る機会に恵まれ、「なるほど、そういうことだったんだ」と心の中で霧が晴れたようでした。 『麦の穂をゆらす風』とペアで観ると、相乗効果で、お互いの作品が実によく理解できます。と言うのも、2人の主人公が、同じくアイルランドの独立を目指しながら、(考えの違いから)同国人同士、戦う関係にあるからです。 1920年、アイルランド義勇軍の指導者たちと大英帝国の間で講和条約が締結され、アイルランドは、「アイルランド自由国」として、英国の自治領となります。英国王に忠誠を誓う立場で、完全独立からはほど遠いものですが、マイケル・コリンズたちは、とにかくアイルランドから英国軍を撤退させました。これから幾年も交渉を重ね、少しづつ真の独立を勝ち取っていこうとする考えでした。とにかく、もう血を流したくないという思いでした。 当然、断固、早期に、完全独立を勝ち取りたいと願う者たちも存在します。 命を賭けて独立戦争を継続しようという完全独立派にとっては、とうてい納得できない、不平等な講和条約を締結したマイケル・コリンズら指導者は裏切り者で、英国王の手先なのです。 こうしてアイルランド人同士の果てしの無い「内戦」が展開されてゆきます。 主人公の青年デミアンは医者になる夢を捨て、兄テディとともに英国武装警察と戦ってきましたが、突然、休戦となり戸惑います。多くの仲間たちは論戦の末、再び武装蜂起する道を選び、デミアンも戦いに身を投じます。 しかし、兄テディの考えは異なり、マイケル・コリンズの「アイルランド自由国」軍に入り、一歩づつ独立に近づこうと彼なりにアイルランドの将来を考えます。兄弟にとって内戦は、最悪の結果を招きました。 デミアンは自由国軍に逮捕され、なんと兄テディの指揮で銃殺という非業の死を迎えたのです。 アイルランドのコーク地方の自然はあまりに美しく、なんでもない木々や草むらの緑に、目を洗われるようです。目に染み入るような【緑】のなかで、生と死が交錯してゆくのです。次々と人々の命が奪われていっても翳ることのない【緑】の美しさに心が痛みました。 この映画には直接登場しませんが、マイケル・コリンズもまた、狙撃され、草むらの【緑】を血に染め、息絶えました。 『麦の穂をゆらす風』をDVDで2度目に見た翌日、劇場で『クィーン』を観ました。英国女王エリザベス2世の孤独を描いて素晴らしい作品でしたが、高貴な女王の姿に、ふと、『麦の穂をゆらす風』で殺されていった名も無きアイルランドの貧しい人々を思い出してしまう光景がありました。 国民のバッシングの嵐から逃れるために、女王はスコットランドの私城のバルモラル城に身を潜めます。そのとき、城の外の広大な狩場で、独りきりになり、女王が途方に暮れる、作品の白眉ともいえる光景があります。 その光景で驚かされたのですが、9月というのに、どこまでも広がる山河にほとんど緑が見えないのです。低い山々に木々は無く、山肌も平原もほとんど茶褐色でした。その茶褐色の殺伐とした風景の中で、せせらぎの音を聞きながら、岸辺に座り込み、腕組みして、考えに耽る孤高の女王。スコットランドの、これだけの自然の中、どうして鮮やかな【緑】がないのだろうか…。この茶褐色の世界は、精神的に追い込まれた孤独な女王の心象風景なのだろうか? そう感じたとき、私の瞼の裏には、『麦の穂をゆらす風』で観た目に染み入るような美しい、濃淡さまざまな【緑】が甦りました。 地主に脅され仲間を売ったため、デミアンに射殺された若い小作人が倒れた草むらも濃い【緑】に包まれていました。デミアン自身が兄たちによって銃殺された庭にも【緑】の樹がありました。私は、しばらく【緑】を目にするたびに、『麦の穂をゆらす風』のさまざまな光景を思い出すことでしょう。 英国人ケン・ローチ監督の、人知れず山奥の【緑】に包まれた渓流のような、この作品に、カンヌ国際映画祭のパルムドールが授けられたことは、ヨーロッパの良心を垣間見せられた思いがします。

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