愛の流刑地
作品レビュー(1件)
- おおぶね
3.0点
くだらない作品で映画で観た時は気分が悪かった。 『愛のコリーダ』というか阿部定事件の意趣返しということくらい誰だって分る。 ただ、渡辺淳一は風の盆というか、越中おわら節の艶っぽさが分っていたということだ。 何もない、抑圧的な雰囲気の中で生きている富山県民は、そうやって息抜きをしているのだ。 3日間だけのあでやかな踊り。 まだ夏の暑さが残る中で、たくさんの観光客を迎えて行われる。 富山県民は中高のいずれかで必ず踊りを教えられる。 だから、富山県の女性にはみんな発情するはずだ。 富山県立高校の学生は3日間が公欠となる。 事件自体は身勝手な作家と、あまりにも奔放に生きた人妻のあきれた話だ。 互いにちょっとでも想像力があれば、こんなことはなかっただろう。 自殺しようと思ったけれど死ねなかったとしても、別の死に方があっただろう。 もちろん、性衝動というのはこんなこともあるだろうことは阿部定からも分ることだ。 『ライジング・サン』でも殺された理由をこれだというシーンがあった。 それにしても骨折しているというのはちょっと無理があるだろうが、作者は医者だから何とでも反論するだろう。 『虚無と熱情」だって!虚無の中で冷静に殺しただって。 おそらく、こんな都合のいい女性で、しかもあんなきれいな女性がいて、愛を感じたのは作家との行為が初めてという女性がいたら、便利だろう。 「私はいつもあなたの側にいます」だって。 娘を法廷に連れてきているが、まともだったら、連れてこないだろう(検事も怒っているが)。 映画は仲村トオルがコキュだったが、テレビの方がリアリティがある。 いくら女性が「死ぬ、死ぬ」といって殺していいことにはならない。 セックスは瞬間死ぬことであって、永遠に死ぬことではないのだから。 愛を描いたって?どうだろう。二人の真実だって? 劇中の作家と同様に、スケベな小説を書いただけじゃないかと思う。 小説は普通を教えない、というのが何とも悲しい。 これが愛だって!? ところで、裁判員裁判の今だったら、判決はどうなっただろう? 僕なら、こんなことを録音しているだけで気××だと決めつけてしまいそうだ。 映画は豊川悦司と寺島しのぶだったから、スケベな人たちだから、仕方がないと思ったけれど、ドラマの方はそのあたりが映像の関係もあって、暈されていていいのだろうとも思う。 セックスは専門じゃないから分らないけど。 それにしても、同じような事件として押尾学事件があったということは不思議ではある。 愛を高めたかったと強調すればよかったのかもしれない。 映画の☆☆☆だけど、こちらも同じだ。性的ファンタジーだ。 だって、検事が最後に。
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