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ミルコのひかり
2007年9月8日公開

ミルコのひかり

ROSSO COME IL CIELO

1002007年9月8日公開

Sue

5.0

ミルコ、君に映画の観方を教わったよ

映画って、何で見ます? やっぱり「目」ですよね。 私たちが“当たり前”と思っている 視覚的映画鑑賞。 もちろん、台詞、音楽、様々な音…耳も澄まします。 でも、圧倒的に多いのは目から情報。 しかし、この作品の主人公ミルコは、 不慮の事故で、10歳の時に光を失います。 近所の映画館で、大好きな映画をお父さんと一緒に ゲラゲラ笑いながら観ていたミルコ。 そんな彼の人生が一転。 光を失うと共に、親元を離れて盲学校での生活が 始まります。日々、笑顔の消えるミルコ。 もう、大好きな映画も観られないのかな… しかし、ミルコには、ひとつの才能がありました。 「音を感じる、音を操る」こと。 寄宿舎にあったテープレコーダーやテープを勝手に拝借し、 ミルコは自然の音を録音しながら、ストーリーを作るのです。 すると、同じように光を失った同級生たちが、 「僕もやりたい」 と、ミルコに懇願、賛同するようになります。 寄宿舎管理人の娘フランチェスカ(彼らと同い年くらい)も加わり、 みんなで壮大な創作物語をテープに吹き込んでいくのです。 ドラマの効果音も、登場人物の声色も、台詞も、設定も、全部彼らで創作。 1970年代初頭のまでのイタリアでは、「目が見えない人」は、 大袈裟な言い方をすれば、世間から排除されていました。 「盲人に何ができる?選択できる自由なんてない」 そう言われながら、少年たちの成長期の自由も奪っていたのです。 でも、そんな発言をする校長先生も、実は光を失った1人。 30年前は、光のある世界で、旅をしたり、読書したり、家族と過ごしたり。 教師はじめ、大人って、その辺が難しいですよね。 「自分は苦労したから、子供には同じ思いはさせない」派と、 「自分は苦労した。この子たちにも苦労してもらわないとね」派。 2つを上手く融合させられたらいいのだろうけど、 傷心や苦労って、大人になったからって、必ず癒される保障はなし。 校長先生、かなり嫌な描かれ方をしていましたが、 私は、彼には彼なりの、心の屈折を感じました。 心がね、30年前で止まっているのかもしれない。 子供たちに優しくできる余裕が、彼にはなかったのでしょう。 そんな窮屈な寄宿舎の中で、ミルコはじめ、「自分の意志」を持ち始めた 少年たちに触発された牧師先生もいました。 また、ミルコたちも、自分たちの理解者が現れると共に、 「自分の持つ可能性」に向き合い、開花する喜びを知り始めました。 また、少年の中には、「映画なんて観たことないよ」という子も。 「見えないけど楽しめるの?」。 ミルコは言います「楽しいよ!」。 寄宿舎を抜け出し、10人ほどで映画館で映画を観るシーン、大好き! みんな画面は見えていないはずなのに、周囲の大人たちと一緒に 心から笑うんです。映画を観ながら笑う顔、温かくてジーンとしました。 映画館で、耳から感じるイマジネーション。 少年たちにとって、忘れられない体験となったことでしょう。 終盤は、ミルコたちの創作ドラマの集大成が、ある形で現れます。 大人たちには、あることをしてもらって、このドラマを感じてもらうのです。 私は仕事でイタリア語を使う機会が多いので、ちょっとチャレンジを…。 終盤、目をつぶって、ずーっとミルコたちのドラマを聞いてみました。 耳を澄ませて、彼らの台詞、彼らが作った効果音…聞いてみました。 あぁ、すごい! 目をつぶっているのに、こんなにイキイキと彼らの心・物語が迫ってくる! また、彼らの作った効果音からは、本当に自然の息吹を感じました。 私、映画を観てるのに! 目をつぶってる! なんとも不思議な感覚… イタリア語が分からなくても構いません。 この作品を頭から観ていれば、この創作ドラマの内容は分かりますので、 是非、終盤のシーンは、目をつぶってみてください。 ミルコと仲間たちの新たな人生の第一歩を感じることができ、思わず涙。 「ありがとね、ミルコ。映画の観方、またひとつ教わったよ」 そして、驚くのは… このミルコ、実在の人物です。 ミルコ・メンカッチさん。 今や、イタリア映画界の音響編集で大活躍されてるんですって!! 見えないからこそ、見えるもの、感じるものがある。 私は、見えているのに、見ていないもの、感じていないもの、 もしかして、たくさんあるんじゃないか? 当たり前だけど、大切なこと、いろいろ教えてくれた小さな名作でした。 薦めて下さったmary janeさん、御礼申し上げます。

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