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スカイ・クロラ The Sky Crawlers (2008)

THE SKY CRAWLERS

監督
押井守
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3.31 / 評価:1524件

永遠の日常をどう生きるかに取り組んだ傑作

  • spa***** さん
  • 2019年12月25日 17時43分
  • 閲覧数 940
  • 役立ち度 0
    • 総合評価
    • ★★★★★

押井守がビューティフル・ドリーマーで描いた永遠に続く文化祭前の一日は、とてもハイな永遠なる日常だった。
本作は戦争ドラマだが、実はあの学園ドラマの裏バージョンで、ここには無邪鬼ならぬ人類が仕掛けた、ダウンな永遠なる日常が描かれている。
かつて永遠なる日常でラムやあたる達と遊び、軽やかに転覆させて自己の青春を総括した押井は、今度はそれに悪戦苦闘し、半ば絶望しかけている。

輝かしい未来も華やかな過去もなく、ぼんやりした現在を麻痺した感覚で生き、感動もなく死んでいき、翌日には似た奴が隣にいるキルドレ達の世界。
お前という人間は、いつでも誰とでも交換可能だ。そこで生じる喜怒哀楽に果たしてどんな意味があるのか。自分が誰かを愛することには何の意味もない、自分は無価値だ…
三ッ矢が語るのは、永遠なる日常の倦怠がもたらす無意味、無価値、無感動の世界への抗議である。

これは何を指しているのだろう? 現在、われわれの暮らす永遠なる日常そのものではないか。それに対して押井は、何らかの倫理を提示しようと試みる。
それが「君は生きろ。何かを変えられるまで」という主人公の言葉だ。日常に踏み止まれ、と。
しかし、その直後に主人公は日常を転覆する企図に生を擲っていく。日常を生きる倫理はひと通りだけではないのだ。

原作は未読だが、その原型は恐らくSF作家サミュエル・ディレイニーのリリカルな短編「アイ、そしてゴモラは」だと思われる。
ずいぶん前に読んだきりで、うろ覚えだが、アイもゴモラも全滅した旧約聖書の町だ。ここには未来のない、永遠に若いまま成長しない航宙士たちの絶望感が描かれていたと思う。
本作はそのリライトのアニメ版ということになるが、ラストで攻殻機動隊と同じ名の草薙が笑みを浮かべるところに、微かに押井の希望が描かれているように感じた。

詳細評価

物語
配役
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音楽

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