2007年10月6日公開

アリーナロマンス

682007年10月6日公開
アリーナロマンス
3.8

/ 5

20%
60%
0%
20%
0%
作品情報上映スケジュールレビュー

作品レビュー(5件)


  • mka********

    4.0

    ”青春とアイドルとヲタの奇跡”

    アイドルヲタの高校生と歌手を目指す女子高生が繰り広げる、青春ラブストーリー。 監督は本作が初監督となる、板垣英文。 主演は田中康寛、池田光咲。 アイドルヲタの高校生ミツル(田中康寛)。 歌番組の会場で、同級生の美少女舞華(池田光咲)を見つける。 彼女は“オリキ”というアイドル追っかけだったのだ。 舞華に口止めを強制されたミツルであったが、そんな事から二人は親交を深めていく・・・ お気レビュさんのレビューで気になっていた作品。 DVDを見つけたので、鑑賞となりました。 なかなかの力作。 監督は30代半ばにして専門学校に通い、本作にて監督デビュー。 元アイドルヲタ。 本作の特徴は、元ヲタならではの巧緻なヲタ描写、2ch描写、アイドル描写。 この生々しさが凄い。 正直な所圧倒されました。 グッズ転売、オフ会、売り、STKスレ、オークション詐欺等々・・・。 これがアイドルとヲタを取り巻く現実なのか・・・。 流石内側からの描写は、外から見えるものとは違います。 内容はミツルと舞華の青春ラブストーリーです。 この部分の描き方も、多少展開の速さはあるものの巧みです。 そして終盤における、怒涛のヲタ全開! 素直に“スゲエよ”と思いました。 しかしこれはひた向きな純愛だろうか? そしてこの横暴とも言える展開が許され、劇場公開までされたとは・・・ まさに「ヲタの奇跡」。 この作品は可能性と好きな物への情熱、そしてエネルギーを感じる作品でした。 しかし、観終わった感想は爽快や元気とは少し違った感じです。 あれこれと考えてしまいました。 上から目線で見ていたものが、いつの間にか正面に捉えられ、ブスリとやられた。 そんな後味でした。 主人公二人の行動も、全面的に肯定したくないしなぁ。 普段この手の感情を抱く事はあまり無いので、良くも悪くもそれだけ心に響いたという事かもしれません。 ヲタの青春ラブストーリー。 横暴とも言える、自己満全開の終盤の展開。 人に薦めたいような作品ではないですが、何か引っかかる。 そんな作品でした。

  • ten********

    2.0

    オタク熱、もっと。

    登場人物が「あたし達ってキモいよね」と言っていましたが、ここに登場するアイドルオタクの人たちは全くキモくないです。 そもそもアイドルオタク=キモイって何でしょう? 世間一般にそういうイメ-ジあるのはわかりますが。 ○外見がキモイ。 確かに服装・髪型など、ある種のパタ-ンはあるかも。 ○行動がキモイ。 でも、何かを好きになるってその人本人しかわからない世界にとんじゃうことで、キモいのが当たり前。 他人に理解されようとされなかろうとそんなことどうでもいいんです。 途中ちょっとだけあった暴力シ-ンでは、何か手加減してるように見えました。 オタクが過激と思われると困るから? そういう遠慮が作品全体にも見え隠れしているような気がしてしまうのです。 そんなのなしでけっこう。 現実の恋愛ではできないようなことまでやってしまうオタク熱をもっと伝えてください。 「オタクサイコ-!」「私も今日からオタクになりたい!」 オタク熱伝染させるぞ!ぐらいなパワ-で。 セリフや、役者の適材適所な振りにはセンスを感じました。 次作、がんばってください。

  • taj********

    4.0

    ヲタ妄想と「再チャレンジ」が融合。力作!

     やってくれました。一言でいえば「ヲタの妄想大爆発」。だが単なるヲタ物語と思うなかれ、クリエイターの渾身の主張やその背景がしっかり読みとれる、下北沢トリウッド上映作らしい大力作でした。かくして僕の「早い時間に1作目を観て1日2回も映画館にレッツゴー作戦(仮称)」は夜の部で大逆転勝利をおさめたのでした。誰と勝負してんだか。  <書ききれんほどの妄想量だ(笑)>  板垣英文監督、30代半ばにしてアイドルヲタだそうです。したがって、どこも言及してはいないが本作の制作意図はただ一つ、「アイドルと一緒にいたい!そして彼女の特別な一人になりたい!」これしかない(はず)。ヲタのアイドルに対する願望と妄想を忠実に実写化した映画こそ「アリーナロマンス」です。  (注: 実現された監督の莫大な妄想は、文末にまとめました。このヒマ人め)  で、その願望=好きな子をアイドルにする過程で主人公・寺井ミツル(田中康寛さん)はアンビバレントな感情を抱きます。芹沢舞華(池田光咲さん)がアイドルになれたら、いままでのような友人関係ではいられないわけで。まさにアイドルの原義=“偶像”です。だからミツルは彼女を応援しながらもモジモジ、目も合わせず、キスもできず、スボンごそごそ。監督は自身でヲタと称するだけに、ヲタ生態描写の精緻さに笑えるやらイタいやら。  <再チャレンジ監督が、再チャレンジを撮る>  本作の裏テーマは「再チャレンジ」だと感じました。光咲がオーディションに落ちつづけながらアーティストを目指す姿、またオイキ(気合いの入った追っかけ)としてメルシーズ(男性グループ)のメンバーを追う姿は、可能性が客観的にゼロ近くでも努力することの大切さを教えます(彼女のアイドルとしての成功は、作中ねらーによって「奇跡」と呼ばれます)。  このお話は監督自身の体験を浮き彫りにするようです。氏は34歳で派遣を解雇され一発奮起、映画制作という学生時代の夢にもう一度挑むために東京ビジュアルアーツ専門学校に入学したとのこと。本作はトリウッドと専門学校の共同プロジェクトから生まれました。つまり、再チャレンジ監督による再チャレンジ映画、しかもネタは自分の趣味ど真ん中「アイドルヲタ」。“板垣英文”という人物だからこそ撮れた作品です。  <自力でやる、ということ>  専門学校入学にあたり監督は、母親から300万円借金(生活費込み)したそうです。おそらくこれが映画作りに大きな影響を与えた気がします。そう、失業保険切れとはいえ、監督は全て自腹で金を工面したわけです。作中舞華はボイトレ代を稼ぐために「ウリ」を重ね、ミツルも彼女の夢をかなえるべくアイドルのサインを偽造してネトオク詐欺に走ります。彼らの手段は作品的にわざと非道なものにしたとしか思えません。とくにミツルは、ヲタ業初期には軽蔑していた詐欺(イベントチケットの振り込み詐欺)にいつの間にか手を出して、しかも自分では「舞華のために」と正当化しきっています。現実のヲタ界にも同様の詐欺があるのでしょう。そういうわけで、ここはヲタ監督による自戒的描写と読みました。  ともあれ、監督やスクリーンの人物は何とか自力で夢に向かっています。<「再チャレンジ」イコール政治的支援> なる暗黙の前提(!)のもと世間では賛否両論してますが、結局は自分がどうするか、だと僕思うんですけど。だからお金に対する本作のスタンスに、僕はすがすがしさを覚えます。ヲタ物で「すがすがしい」なんて形容するとは思わなんだ(笑)。  余談ですが、自分がやるときには破らなきゃいかん殻があるものです。板垣監督の場合、学校でヲタ(たぶんハロプロ)をカミングアウトすること。ついでに僕も告白しますと…ごめんなさい教授!院生の分際で今年ホークス戦98も行っちゃいました(笑)。  <トリウッドならではの「主張作」です>  07年No.1作品(当社比)「虹色☆ロケット」、“お金”をプロデューサーの立場で正面に扱った「プライスタグ」、そして監督の趣味と人生が見事に融合した「アリーナロマンス」。今年の下北沢トリウッドは、それぞれの映画製作者たちの主張が強烈に込められ、かつ彼らの背景・心境をすべて晒けだす、唯一無二の作品を次々と上映しています。ここで観ると書くネタが次々湧いてきます。そういうわけで以下、字数切れまでお約束の妄想実現集じゃ。  <監督が(僕ではないぞ)本作で果たした妄想群(笑) >  オーディションでつんく♂気取り、カワイイ女の子のミニスカと紺ハイソ、アキバ系萌え衣装一式(withメガネ)(さすがにスク水はNG)、「ふたりだけのお買い物」と手ぇつなぎ、「ねぇ、シェイクおごってよ」、ふたり一緒に夜の逃亡&ビデオ画面覗きこみ、アイドルに教える「アイドルの決めポーズ」(←ヲタの得意分野)、朝帰宅したら傷ついた女の子が抱きついて云々、あー字数切れ!

  • k1l********

    5.0

    ネタバレもう一度観たいと思わせる映画

    このレビューにはネタバレが含まれています。
  • yam********

    4.0

    世界は変わる。例え小さくとも。

    アイドルオタク、の世界というと、どうしても閉鎖的/自己中心的/妄想的など、世間にとってはマイナスなイメージが未だに強く、「見世物」としてテレビなどでも取り上げられているが(オタクの側も「見世物」である事を自らパロディして楽しむ傾向があるかもしれないが)、実際にはどのような世界の中で彼らが生きているのか、そしてそこで彼らはどのような思い(=欲望)を持っているのか、という事が垣間みれる作品。 妄想的、と言ってしまえばそれまでかもしれないが、ストーリー展開は心地よいテンポで進み(多少の早急さはあるものの)、全体には楽しめる作りになっている。何よりも、本物のアイドルオタクであるという監督の趣味が全開している様は、見ていて爽快さすら覚える。 要は、オタクである、という事を認識して、自分の好きな世界にのめり込んでいく姿(それが多少閉鎖的で自己中心的であったとしても)というのは、そこに存在する「好きだ」という力の漲りによって、周りの景色も変えてしまう、という事で、もしこの世界(自分が生きている小さな世界)を変えたい、と思っている人がいるのであれば、そのヒントがこの映画の中には多少含まれているのかもしれない。

1 ページ/1 ページ中