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眠り姫

802007年11月17日公開
眠り姫
2.9

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作品情報上映スケジュールレビュー

作品レビュー(14件)


  • oza********

    3.0

    ネタバレモヤモヤ……

    このレビューにはネタバレが含まれています。
  • ore********

    1.0

    ネタバレラジオドラマ(映像付き)。

    このレビューにはネタバレが含まれています。
  • pkd********

    4.0

    映画の懐の深さを知ることができる作品

     この『眠り姫』という作品でまず注目されるのが、“作中に人がほとんど出てこない”ということ。  人が出ない代わりに動物や物がメインに登場するのかというと、そういうわけでもない。  ただ本当にある町の風景や建物の中など、日常よく見かけるような画面がほとんど映し出されるのみです。  ドキュメンタリー仕立てになっているわけでもなく、ただ人が映らない状態で会話が繰り広げられていくという異色作で、まず万人受けするとは言い難い内容です。  これだけで敬遠されてしまうことでしょうが、この作品から感じ取ることが出来る独特の雰囲気は特筆物。  寒さ伝わる冬の明け方や、霧がかる山中など、寂しさや不安さを煽られるカットの連続。それでいて美しくもあるこのアンバランスさ加減が、まさしくこの作品の何よりも素晴らしいところです。  家で毛布の中にうずくまりながら「今出てきたトイレに誰かがいる気がしてならない」と感じたり、人混みを逆に通り抜けると腹が立つと思ったり、同じ夢を見たり、そして他の人物たちとのやり取りはどこか噛み合わない…。  主人公・青地の例えようのない孤独感、やりきれない不安感や苛立ち、静かな怒り…。  敢えて人をほとんど登場させないことによって、こういった本人がしか分からないような言葉では言い切れない気持ちを、少しでもリアリティをもって観る者に伝えることを可能にしているように思います。  8mmフィルムで撮影されたイメージ映像も、夢と現実の境界をまたいで迫ってくるようで、いくら寝ても寝たりないという青地の心情が見て取れるようでもあります。  冒頭の青地の叫び声。あれは負の連鎖にある自分自身を脱却させようとする怒りの一喝だったのでしょうか。  トイレから感じていたもう視線の正体は、恐らくラストで出てきたもう一人の自分の視線だったのかもしれません。  静かな怒りを持ちつつ、部屋でうずくまっている自分を振り返りながら、この状況を変えようともがくもう一人の自分…。  そういえば青地は、勤め先である学校の職員・野口に顔を長く描いた似顔絵の落書きをFAXで送ったりといった奇行をとったりしていましたが、もしかしたら彼に救いを求めていたのかもしれない…。  人がほぼ登場しないというこの作品。果たしてこれを“映画”と呼んでいいのだろうか?  そう思う方も少なくはないでしょう。  おそらくこの作品を鑑賞した多くの方は眠りに陥ったことだと思います。或いは「こんなの映画じゃない」と憤慨される方も中にはいるのかもしれません。  しかし、「“映画であること”とは一体何なんだろう?」 そういったことも考えさせられます。  この世にはデレク・ジャーマン監督の『BLUE ブルー』という、終始青い画面のみがスクリーンに映し出されるという、超異端な作品がすでに存在しています。  この『眠り姫』はそこまでのレベルではないにせよ、試みはそれに近いものがあるように思います。  映画とは、個性豊かな登場人物たちがいて、分かりやすいストーリーに沿って話が進み、手軽に感動することが出来るもの。  そう考える方もいることでしょう。というより、大多数の方はこのように思っているのかもしれません。  しかし、映画とは本当にただそれだけのものでしかないのでしょうか。  音楽にはポップだけでなく、ジャズやクラシック、パンク等、実に様々な表現方法が存在していますが、それは映画にだって同じことが言えるはずです。  エイズによる合併症で末期症状にあったジャーマン監督が、失明への不安や病の恐怖等の心理を伝えるのに、敢えてブルー一色のみで表現したように、この作品もまた人を敢えてほとんど登場させないことによって、主人公・青地の現実と隔離しかけている例えようのない孤独感を表現しようとしているのでしょう。  枠に嵌めないことによって、かえって伝わることもある。  映画にはそういった限りない表現方法と可能性がある、ということを知らしめることが出来る貴重な作品の一つと言えるかもしれません。  そしてこの作品、初公開から実に7年は経過しています。  それなのに、今もアンコール上映がこうして続けられている辺り、この一見すると無謀とも取られかねないこの作品に共感することが出来る方々が大勢いることの証明にもなっています。  七里監督の試みは成功だったと言えます。  しかし、DVDは発売する気はないのでしょうか?  アンコール上映が続けられているのも嬉しいことですが、家でゆっくりと鑑賞したい方も少なくはないと思うので、是非ともDVD化してほしいものです。

  • りんね

    3.0

    デートにはダメ、絶対(上級者向き)

    世にも奇妙な物語、のような編集をすると 一般受けするかも 人影をなくしたことで 逆に見えてくるものがあること 映画は娯楽であり、芸術作品であることを ふまえて見てほしい 考えさせる映画が少ない昨今、 ただ、ストーリーを追うということだけを している人々が一般化しており、 この映画の評価は賛否両論あるだろう。

  • タダラフィル

    4.0

    音楽と撮影がすばらしい!!

     渋谷のUPLINK Xでレイトショーでかかっていたのを観ました。   で、この映画ですが、ずっと見たかったのに機会を逃していた映画です。  やっと見ることができたのですが、やっぱり他の映画とは一線を画す出来栄えです。なにしろ、人間がほとんど映っていません。イントロからして、夜の木立に、太陽が昇ってすこし光が当たっていくところが数分にわたって映されるだけです。ただバックにながれる水音がすばらしい。  この映画は原作が山本直樹の漫画なのですが、画像よりもむしろ音楽が素晴らしい出来です。上質なラジオドラマのような調和がとられた脚本が秀逸です。実験的な映像を含めて、この映画の映像は評判がいいのですが、僕はむしろ音楽とセリフだけでこの物語は95%は完成しているのではと思います。  あらすじはっていっても、あってないようなもので、青地という若い女性が主人公ですが、彼女は最近眠くて眠くて、いくら眠っても眠り足りないような状態です。中学校の非常勤職員をしているのですが、電車で学校にいくのもいやでしょうがない。高校の頃からつきあっている彼氏は、掃除もされていない彼女の部屋に来てはセックスをするだけ。いや、彼は彼女との結婚も考えていて、親に紹介する行動も起こすのですが、彼女は彼のことを好きなのかどうかもわからなくなっている。  同僚の「顔の長い」野口は、青地の顔がどんどん膨らんでいるという。  彼女はいつも同じ夢を見ているようで、誰かの手が階段の手すりを乗り出してきて、そこからピンポンが落ちて行って・・・。  一方、野口はどんどんどんどん痩せていく。そして・・・。  山本直樹の原作ですが、もともとは内田百間(門構えに月がほんとうです)の短編が元です。そういえば内田百間らしい世界です。(山本直樹の描写は僕を辟易させるものがあって、あまり・・)  現実と夢の間の薄い膜が写されているとでも言えばいいのでしょうか。あの美しすぎる音楽も夢の世界から漏れてくるものなのでしょうか。  眠りを催すこともなく鑑賞できました。  ただ、タバコを吸いながらせき込んでいるあのシーン、「ヴァンダの部屋」のぱくりとはっきりわかるので、うーん、いらないなあ。

  • yay********

    5.0

    夢かうつつか

    『眠り姫』の試写会に行ってきた。 目に映る映像と、耳に響く音と人の声だけの世界。 目と耳が集中しだして、頭はそこに隠されているものを想像していく。 圧倒的に引き込まれるというのではなく、スーッと知らぬ間に、 その独特な不思議な世界に同化していく感覚。 想像も、だんだんと映画の世界のものと、自分の世界のものとが混ざっていく感じ。 イマジネーションは、五感を鋭くしますね。現実よりもリアル。 映像は、流れるというよりは、ひとつひとつ切れ切れに写真みたいに印象に残った。 冬の空のブルーと朝の光は、本当にキレイ。 音は、今回は姿のない人を声だけで想像したわけだけれども、声質って大事だ。 メインの3人の内の、野口役が西島秀俊の声で良かった。 帰り道、目に映る主人公のいない駅のホームや線路、電車内から耳に入る音、 頭ではぐるぐる何か考えていて、映画が続いているような。 この映画世界にハマッちゃったわけですよ。 原典である内田百聞「山高帽子」や、原作漫画「眠り姫」も読みたいな。

  • nur********

    2.0

    サウンドノベルみたい

    一体どんな映画かと思って見ましたが、『弟切草』や『かまいたちの夜』などのサウンドノベルみたいだなと思いました。 サウンドノベルは人が映らない絵の上に文字を重ねますが、この映画は人が映らない映像の上に音声を重ねていると。 「濃密な人の気配」と宣伝文句にあるのですが、人の気配がする映像よりも、抽象的な映像にモノローグを重ねるという、ごく一般的な映像が多い印象でした。 お話はよくわかりませんでした。

  • mya********

    2.0

    なんじゃこりゃ…

    【眠り姫】というタイトルどおり?観客は眠りを誘われます(笑) 只今レイトショーにて上映中ですが、時間も時間だけにあの動かぬ映像は惰眠をむさぼります。いくら好きな俳優さんが声の出演をされていても、そんなこと関係ありません。眠くて退屈です。 私は何とか1・2度カクンッとするだけで最後まで観ることができましたが、途中で出て行く観客や、ずーっと舟をこぎっぱなしの観客続出…。 あの映画を観るなら、ただの自然のイメージ映像等を観ていた方がまだマシかな…。 映像は悪くなかったので、総合評価は★2くらいにしておきましょうかね。

  • taj********

    3.0

    無謀な映画です: 欠如の果てに―?

     ある意味、無謀な映画です。しかも大半の人に言わせれば、拷問以外の何物でもないような気がします。ユーロスペースのレイトショー上映とはかくありなん、10人中1人くらいしか口に合わないと思います。初日舞台挨拶の回で観ておいてアレですが、僕は残念ながら、9人の側でした。  無謀というのは、この映画、(物理的に)人間が映っていないんです。  物語は、いくら寝ても寝足りない非常勤講師・青地(つぐみさん)の見続ける、記憶とも妄想ともつかない奇妙な夢のうえで進みます。同僚の野口(西島秀俊さん)には「顔が膨らんでいる」と笑われ、野良猫はいつも物言いだけで、倦怠期の彼氏・達ちゃん(山本浩司さん)との会話は空回り…。現実と記憶/妄想の挟間を描くのは、西島さんつながりで「真木栗ノ穴」に共通したテーマでしょうか。このジャンルだと、どうしても人間存在やその心理、「個」とは何ぞや…みたいな課題が出てくるので、ただでさえ頭を使ってしまいます。  だがしかしbut、「眠り姫」には、その核となるべき「人間」が登場しません。  画面にあるのは、たしかに濃く感じる人間の匂いと、声だけ。  人物の姿のない「眠り姫」を観ていて僕も眠り王子に…いや、映画がいかに人の姿に支えられているか、いい意味で再確認する破目になりました。本作の前まで、映画に人がいるのは当然だと思っていました(みなさんもそうでしょうし、大自然ドキュメントにしても虫や動物など、人間の代わりになる生き物が画にあるはずです)。ところが、上映後のトークセッションで、七里圭監督がこう言いました。  「小説では『絶佳の美女』と書けばいいのに、映画では、それを撮らないといけない」  はたと膝を打ちました。映画は小説に比して情報量がはるかに多いものですが、それはつまり、満たすべき内容(要件)が多過ぎるあまり、不自由でもあるわけですね。「絶佳の美女」5文字のために、美女役者をブックして、メイクして演出して…たしかに面倒だ。逆にいえば、不自由を乗り越えたところに映画の素晴らしさ、特権があるのかもしれません。「絶佳の美女」をこの目で拝める幸せ、視覚の勝利。  とすると、「眠り姫」は、映画の最大のアドバンテージを捨てて勝負していることになります。  極言すれば、映画(映像)にした意味、ぜーんぜんないじゃん!  映像付きラジオドラマ?  ところが、意外にも、ありありと人間の姿を感じられる映画だったのです。  何も見えない暗闇で聴覚が研ぎ澄まされた経験があるように、そこにいるべきはずの人間が「ない」本作は、かえって人間の息遣いや声、動く気配―存在感を、確実に拾っていたように思います。欠如≒ありえない現実を通して物事の本質を描くのは七里監督の十八番らしく、来月公開の「ホッテントットエプロン―スケッチ」では台詞がない(!)と聞きました。人物も台詞も、映像表現のためには不可欠なはずです。だから、「眠り姫」は10人中1人にしか受けない。監督自ら「劇場公開は考えてなかった」と言うくらいです。  そういえば、ここまでの文章も「~がない」ばかりですね。  「ない」を突き詰めると何になるのでしょうか。  「眠り姫」を観ていて、僕は死の匂いを嗅ぎつけたのですが、どうなんでしょう。  ちなみに、映画の原作は漫画「眠り姫」(山本直樹作)で、その原典は内田百?の短編「山高帽子」。漱石の弟子だった百?は、自らを青地に、野口を芥川龍之介に仮託したという説があります。芥川の有名な遺言、「ただぼんやりとした不安」。何かが「ある」ことへの不安だったでしょうか、「ない」ことへの不安だったのでしょうか。でも、「眠り姫」を観るかぎり、あることもないことも、生きていることも死ぬことも、非常に近しい一対のものに思えてきました。ちょっと怖いです。僕自身にもありうることだっていうのに!

  • tip********

    2.0

    うやむや映画はうやむやのまま

    こんな映画を初めて見た。 どんな言葉が当てはまるのかわからなくなる映画。 とても幻想的な映像で何度も引き込まれそうになった。 この映画は駄作なのか傑作なのか? こんなに悩む映画も珍しい。 とは言え、正直なところ私には苦手な映画。 やっぱり映画というのは、役者は不可欠 そして、おおいに動き回ってもらいたい。(もちろん生身の人間にだ) だからと言って議論する気もないので まぁ、幻想映画は幻想のままということで結論を出すこと無いのかもしれない。

  • パン子

    2.0

    記録として

    記録として書かせていただきます。 黒澤監督、実験映画と商業映画の中間の存在と定義していたが、私はどっちかというと、実験映画に近い存在であると思った。 七里監督いわく、この映画はもともとのんきな姉さんの公開イベントとして立ち上げ、その話が大きくなり、ひとつの映画としてすえるようになったらしい。しかし豪華なキャストを使っておきながら、彼らの姿を出さないという思い切り、もったいないなぁ、と思ってしまう。つぐみさんと西島さんをつかったら、恋愛映画一本取れるのに。 また、黒澤監督が七里監督をゴダールのような作品と高く評価していた。 確かに、実験的な手法で、今までにない類の映画であった。ゴーダールのように多くの人に好まれる作品か、というとそうではないのだろう。なかなか、受け入れにくい人が大半なのではないか。学生映画ライクな映画だった。どうなっていくんだろうという期待を持って先の読めないとい。最後まで、期待をもっていたけど、最後に何かがあるわけでもないし、そんな大きいことが起こりそうな映画でもないから、まあ想像どうりではあった。新しいタイプの映画で、多くのこだわりを持った監督でいらしゃるんだなぁという感想。例えば、映像の中の女の「存在」ひとつにも、何人もの異なった女性を登場させ、「女」をひとりに特定させない曖昧さをわざと生み出したり。監督に言われないときづかないっていう細部までこだわっている映画を愛する方だった。映像の光の加減がとてもきれいだった。これからの作品に期待したい。

  • kam********

    5.0

    風景の隙間を見たいなら

    映画『眠り姫』。 これは、滅多にお目にかかれないシロモノだ。 確かに、この映画には、人物がまともに物語を演じる姿が、映らない。 ただし、会話は聞こえる。 それゆえ、人間が動くさまがチラリと映し出された時の、存在の重たさ、不気味さに気付く。 人間がいる、物がある、生活する、ことが当たり前に続くと思っていること自体、「思い込みに過ぎない」のではないか? 生物は皆、いつか死ぬことが決定している。 傍にいる他者が消え、自分も消える。 すべての生物に必ず訪れる、ならば、この誰もいない世界こそ、当たり前の世界、であるのかもしれない、とはいえまいか? そのようなことを感じさせるにも関わらず、この映画は、決して難解ではない。 それどころか、現代女性の、ごく普通の日常が綴られ、ニヤリとさせられる部分さえある。 日常というものへの違和感にふと気付いてしまった薄気味悪い気分を、この映画は、美しい自然や、都会の街路の風景の中に見出し、見事に表出させている。 今見ているこの世界が、ふと、心象風景に変わる、この世のものではなくなる、そんな体験が出来る。 映画館を出ると、見慣れた風景の「隙間」が見えてしまう、そんな気がした。 無いものを描こうとする、挑戦的な姿勢。 欠けていることが、贅沢にさえ思える映画だ。 「すべて主張は偽りである。或るものをその同一のものとしてなにか他のものから表白するのは正しいことではない」と、埴谷雄高は著作の中で書いているが、それでも、この映画が目指したのであろう試みに、埴谷さんの著作を少々思い出してしまった。 「私は或る隠者の話を想い出そう。その隠者は自身を索めようとして先ず足を切った。更に索め得られる、そう呟きながら、次に手を切った。そして、次第に自身を切り刻んでいって、影も形もみとめられなくなったと云われる。《だが聞いてみろ。そこにはまだ呟きが聞こえるのだ。ほれ、聞こえる。非常にさだかならぬひそやかなところに-》」 (埴谷雄高著『不合理ゆえに吾信ず』より) この映画の原作は、山本直樹著の漫画『眠り姫』。そしてその漫画の原作が、内田百?著の小説『山高帽子』。 だが、この埴谷雄高という作家も、かつて若い頃に、芥川龍之介の自殺に衝撃を受けた経験を持っているという。

  • fla********

    4.0

    七里アバンギャルド

    前衛的な実験映画かと思ったら魅せられて引き込まれた。完成度高し。

  • yos********

    4.0

    惰眠を貪る者、安眠を得られぬ者

    『トニー滝谷』を観たときと同じ感覚、本作でも。この手法ってあり? 『トニー滝谷』でも声だけ出演だった西島秀俊が、本作にも出演(今回はナレーションじゃなく、芝居してますけど。)。偶然でしょうか。 オープニングの夜明けの映像。長い!とにかく長い。こちらのコンディションが最悪だったことも手伝い、上瞼が重くなってきて、こっちの方が「眠り王子」、もとい「眠り親父」になってしまいそうだ。失敗したか? で、本題に入っていくのですが、人物は終始一貫映らない。映っても遠目のアングルなので、映り込んだだけといった感じ。が、その映像に音声が被ることで、そこに人物が見える。否、間違いなく居ない。居ないのだが、居るような錯覚に陥るのだ。不思議な感覚。多分、この感じ=空気感を味わう作品なんだろう。結構、この感じ好きです ハッキリ言ってセリフの内容とか、劇中の人間関係はサッパリ分からんかった。分かったのは惰眠を貪る青地(つぐみ)と眠れぬ日々を過ごす野口(西島秀俊)が何かしらの共通項を見いだしていくこと。って、それも定かでなかったりして(苦笑)。 原作(内田百聞の『山高帽子』も含め)を読むと、また違ってくるのでしょう。 このレビュー、否、私のに限らず、他の方のも含めたこの作品のレビューを読んで、興味を持った「物好き」(リスペクトしての言葉ですが・・・)の方は、その時点で気に入る可能性は高いです。レイトショーのみなので、秋の夜長に不思議な感覚を味わってみてはいかがでしょう。 また、パンフによれば、監督がこの作品を作るうえで参考にした作品として、侯孝賢監督の『珈琲時光』をあげてました。なるほど!何となく分かる。『珈琲時光』がお好きな方には、オススメ度高です。。

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