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眠り姫
2007年11月17日公開

眠り姫

802007年11月17日公開

taj********

3.0

無謀な映画です: 欠如の果てに―?

 ある意味、無謀な映画です。しかも大半の人に言わせれば、拷問以外の何物でもないような気がします。ユーロスペースのレイトショー上映とはかくありなん、10人中1人くらいしか口に合わないと思います。初日舞台挨拶の回で観ておいてアレですが、僕は残念ながら、9人の側でした。  無謀というのは、この映画、(物理的に)人間が映っていないんです。  物語は、いくら寝ても寝足りない非常勤講師・青地(つぐみさん)の見続ける、記憶とも妄想ともつかない奇妙な夢のうえで進みます。同僚の野口(西島秀俊さん)には「顔が膨らんでいる」と笑われ、野良猫はいつも物言いだけで、倦怠期の彼氏・達ちゃん(山本浩司さん)との会話は空回り…。現実と記憶/妄想の挟間を描くのは、西島さんつながりで「真木栗ノ穴」に共通したテーマでしょうか。このジャンルだと、どうしても人間存在やその心理、「個」とは何ぞや…みたいな課題が出てくるので、ただでさえ頭を使ってしまいます。  だがしかしbut、「眠り姫」には、その核となるべき「人間」が登場しません。  画面にあるのは、たしかに濃く感じる人間の匂いと、声だけ。  人物の姿のない「眠り姫」を観ていて僕も眠り王子に…いや、映画がいかに人の姿に支えられているか、いい意味で再確認する破目になりました。本作の前まで、映画に人がいるのは当然だと思っていました(みなさんもそうでしょうし、大自然ドキュメントにしても虫や動物など、人間の代わりになる生き物が画にあるはずです)。ところが、上映後のトークセッションで、七里圭監督がこう言いました。  「小説では『絶佳の美女』と書けばいいのに、映画では、それを撮らないといけない」  はたと膝を打ちました。映画は小説に比して情報量がはるかに多いものですが、それはつまり、満たすべき内容(要件)が多過ぎるあまり、不自由でもあるわけですね。「絶佳の美女」5文字のために、美女役者をブックして、メイクして演出して…たしかに面倒だ。逆にいえば、不自由を乗り越えたところに映画の素晴らしさ、特権があるのかもしれません。「絶佳の美女」をこの目で拝める幸せ、視覚の勝利。  とすると、「眠り姫」は、映画の最大のアドバンテージを捨てて勝負していることになります。  極言すれば、映画(映像)にした意味、ぜーんぜんないじゃん!  映像付きラジオドラマ?  ところが、意外にも、ありありと人間の姿を感じられる映画だったのです。  何も見えない暗闇で聴覚が研ぎ澄まされた経験があるように、そこにいるべきはずの人間が「ない」本作は、かえって人間の息遣いや声、動く気配―存在感を、確実に拾っていたように思います。欠如≒ありえない現実を通して物事の本質を描くのは七里監督の十八番らしく、来月公開の「ホッテントットエプロン―スケッチ」では台詞がない(!)と聞きました。人物も台詞も、映像表現のためには不可欠なはずです。だから、「眠り姫」は10人中1人にしか受けない。監督自ら「劇場公開は考えてなかった」と言うくらいです。  そういえば、ここまでの文章も「~がない」ばかりですね。  「ない」を突き詰めると何になるのでしょうか。  「眠り姫」を観ていて、僕は死の匂いを嗅ぎつけたのですが、どうなんでしょう。  ちなみに、映画の原作は漫画「眠り姫」(山本直樹作)で、その原典は内田百?の短編「山高帽子」。漱石の弟子だった百?は、自らを青地に、野口を芥川龍之介に仮託したという説があります。芥川の有名な遺言、「ただぼんやりとした不安」。何かが「ある」ことへの不安だったでしょうか、「ない」ことへの不安だったのでしょうか。でも、「眠り姫」を観るかぎり、あることもないことも、生きていることも死ぬことも、非常に近しい一対のものに思えてきました。ちょっと怖いです。僕自身にもありうることだっていうのに!

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