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ペルセポリス
2007年12月22日公開

ペルセポリス

PERSEPOLIS

952007年12月22日公開

gac********

5.0

ネタバレ心の歴史

この物語は主人公マルジがフランスから母国へ発つ飛行機を待つ間の回想シーンを主軸としている。回想シーンの幕開けは遡ることおよそ30年前、ちょうど1979年に起こったイラン革命の足音忍び寄る頃。 当時9歳だったマルジは、学校で「国王シャーを尊敬しましょう」と教えられたばかり。ところが街には不穏な空気が流れ始めていて「シャーを倒せ!シャーを倒せ!」と暴動の声が。 シャー政権時のイランでは英・米による石油目当ての周到な支援のもと、宗教界や古くからの富裕層(マルジの生家はこれにあたる模様)など反乱分子として蜂起の潜在能力を秘めている地位にある者はおろか一般市民までをも抑圧しながら、近代化へ向けた改革が強権的に推し進められた。 こうして次第に反感が各地で膨らみイラン革命が起こる。結果、シャー国王は国外逃亡し、革命はイスラム共和国の樹立という結実をみる。ところが、新しい国家体制は反欧米・イスラム至上主義を掲げるものであり、欧米文化は徹底的に排除され宗教的自由も剥奪されるに至った。わけても女性の人権侵害が著しい社会へと展開する。 1980年には領土を巡ってイラン・イラク戦争が勃発。およそ8年にわたるこの争いを背景に、言論や思想・行動の自由がより一層奪われることとなる。 そんな中で多感なハイティーンへと成長したマルジ。生来の勝気さも手伝って社会の理不尽に対する反骨精神が養われていった。マルジの両親は、その反骨精神や外来文化への飽くなき好奇心が彼女の進退に危機を及ぼしかねないと危惧し、留学の名目でオーストリアへの単身疎開を薦める。こうしてマルジは言葉も文化もまるで異なるウィーンの街で青春の時を過ごすことになる。 青春の地は、どこか安穏としている。激動のイランに育ったマルジには天国であると同時に、自由という名のもとに軽薄な生き方が肯定される風潮や、やんわりとした人種差別に行き場のない憤り募る場所でもあった。 これもまたひとつの理不尽な社会の姿であり、一方でそんな社会に染まりゆき自分らしさを見失うマルジ。最終的に真綿で首を絞められるように空虚感・無力感が彼女を襲い苦しめるようになる。そして涙しながら想うのは母国であり家族であり。。。そこがどれほど不自由で、どれほど命が危険に曝さる場所であっても。 かくしてマルジは故郷に舞い戻り、ウィーン土産の空虚感・無力感を払拭、奮起して人生のやり直しを図る。人並みの青春、人並みの恋、人並みの結婚、そして人並みの誤算。新しい人生を通じて本来の自分らしさを取り戻し、生き生きと人間らしさを謳歌しながら自らの生き方を見つめ直す。肩越しにイラク軍からの空爆や、自国政府の市民弾圧を目の当たりにしながら。 そしてマルジは再びイランを出る決意をする。以前にはなかった確固たる自分らしさと、「その自分らしさを活かすためにイランには戻るな、そしていついかなるときでも公明正大であれ」という祖母の教えを胸にフランスへと旅立つ。 こうして回想シーンは幕を下ろし、故郷への飛行機には乗らず空港を後にするマルジ。結局、人生には故郷に逃げ帰りたくなるような理不尽に襲われる場面が何度となく訪れるけれど、それでも。 マルジはもう逃げたりしない。 強くはないけれど、理不尽に耐えられる大人へと着実に成長したんだと思う。同時に、大人になった今では故郷イランは彼女の本当の居場所ではなくなった。 “ペルセポリス”は歴史的・文化的価値はあれど、もはや都市としては機能しない遺産。つまり“ペルセポリス”とは今現在マルジにとっての故郷の存在感、これを象徴したものだったんだと気づく。 取り巻く人生背景は十人十色でも、人種を越えた人間の普遍的な苦悩や成長のようなものが精緻に描かれている。マルジは、マルジャン・サトラピでもあるし私でもある。そして傍らの誰かでもあるし、見ず知らずの通りすがりのあの人でもある。人は皆、根っこのところで繋がってる。 この映画には、夢や理想や希望や自分らしさを追い求めること、そしてそれが報われない遣る瀬無さ、理不尽な扱いに対する憤りや無力感、生きていくことに負けそうになる瞬間、そういうある種の通過儀礼がそこここに描かれている。 それはかつての自分であり思い起こすと未だに痛みを覚える記憶ですらあるかもしれない。けれど間違いなく、現在の自分の礎になっていて忘れてはいけない大切な心の歴史でもあるのだ。“ペルセポリス”とは、そういう意味も含んでいるように思う。

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