ヘビロテの予感
- nef***** さん
- 2020年8月28日 16時22分
- 閲覧数 1670
- 役立ち度 6
- 総合評価
久しぶりにセンスのいい映画を観た。
まずはキャスティングが絶妙にいい。
市原隼人、浅利陽介、三浦春馬の3人の青い学生時代の戯れが切なく心地良い。
最近では見かけない愛おしいマイルドヤンキー達。
何者かに成りたくて必死に踠いているが、自分達の限界を見据えていて、どこか冷めている。
今は個人が何でも出来る時代なので分かりにくい感覚かもしれないが、彼らの苦悩は夢を見づらい中途半端な時代特有のものかもしれない。
何者にもなれないなら、自らを懸けた最高のエンディングを…未熟な青少年がそんな野望を抱いていたことが終盤に差し掛かり見えてくる。
その前向きとも後ろ向きとも取れる野望の背景には、仲間の喪失による哀しみが潜んでいる。
その哀しみを分かりやすく涙を流したり言葉に出して表現していないところがリアルで良かった。
奴が来る。
奴は闇の象徴として常に存在している。
まるで真昼の月のように、太陽が登っている間は姿を隠しているが目を凝らすと確実にいる。
劇中、月が死の象徴として吸い込まれそうな程美しく描かれている。
まるで死神のように月を背に現れるチェーンソー男はB級と呼ぶには失礼な程に完成度が高い。
死神と格闘する美しい少女役の関めぐみもワイヤーアクションを美しくこなしていた。
とても好感が持てる演技をしている。
彼女が抱える孤独と必死に闘う姿は、まだ生きていたい!と叫んでいるようで見ていて切ない。
奴に勝てば、曖昧な今と決別して先に進めるような気がする。
でも、奴に負けれはば愛おしい今との別れが待っている。
奴は手強い。
それでも逃げずに能登が闘っていたモノはいったい何だったのか…
不条理な世の中がつまらなくて、先に旅立ってしまった仲間が羨ましくて、非日常に憧れていた山本。
生きていることを実感したくて、人は怒り哀しみ笑う。
そんな当たり前で退屈に思えたことが、実はとてつもなく難しくて尊い。
そのことに気付いてしまった彼らが、各々のやり方で仲間の死と必死に向き合い受け止めていく。
そして、最終的に山本が辿り着いた答えは…
生きている自分が羨ましいだろ!
と、月に向かって絶叫した所で涙腺が崩壊した。
能登の死を否定して、生きて闘うことを決めた瞬間だった。
命を粗末にするなとか、そんなチープな言葉を聞きたいんじゃない。
残された者には、残された者なりの闘い方がある。
死の象徴である月との対比で、太陽に照らされた海がラストに描かれている。
キラキラと水面を照らす太陽は、言葉を失う程に眩して、とても穏やかだった。
日本の映画は、もっとこの手の作品を積極的に作るべきじゃないだろうか?
チェーンソー男の描写はアニメの世界観とリンクしていて、とても魅力的に仕上がっていた。
この半ファンタジーと奥歯に物が挟まったような人物描写は海外では真似できない。
アニメと共に育った我々にしか出来ないことがある。
超大作なSFとか美術にうっとりするようなミュージカル映画はハリウッドに任せておけばいい。
暗すぎるのも性に合わない。
ハッピーエンドに雪がチラつくビターなオチも心地いい。
そして作中歌のダッサイ音楽も抜群にいい。
これがリアルな日本なんだよ。最高じゃん。
浅利陽介の存在ももっと評価されて然るべきと思った一作だった。
おまいら大好きだぞ!
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