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ぜんぶ、フィデルのせい
2008年1月19日公開

ぜんぶ、フィデルのせい

LA FAUTE A FIDEL!

992008年1月19日公開

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4.0

少し考えてみよう。格差のこと、政治のこと

子供というのは、時に正直で、また怖いもの知らずだ。思いついたことをそのまま口に出してしまう。つい先日も、あるレストランで、この映画と同じような光景に出くわした。 若い主婦3人がそれぞれ子供を連れてランチに来ていた。急にその中の一人の子供が、「ウチのお父さん、今シツギョーしてて毎日オウチにいるんだよ」と、さも嬉しそうに話し始めた。その子が「失業」の意味をよく理解しておらず、むしろ父親が家にいるのを喜んでいることは口調からも明らかだったが、お母さんはたまったものではなかったのだろう。慌てて「ここでそんな話しないの」と子供を諌めつつも、何とか話題を変えようと必死であった。その後の、まるでその話を聞かなかったかのような「大人たちの『大人の対応』」は、傍で聞いていただけの私から見ると、もはや滑稽以外の何物でもなかった。 この映画は、そのレストランでの状況と非常によく似た側面を持っている。つまり、共産主義の実態をよく知らない主人公・アンナが、「キョーサン主義」について質問する度に大人が困ってしまうというのが、この映画の基本的な流れである。 と同時に、この映画は、子供にとっての引っ越しの状況ともよく似ているといえる。大人の都合で環境が変化するという意味において、確かに子供の立場はいつの時代も弱いものだが、この映画で描かれている激変ぶりは、もはやコメディのそれである。つまり、突発的な親の思想の変化に伴い、何不自由ない優雅な暮らしから、労働者階級の暮らしへ落ちぶれるという階層の下方移動こそが、この映画の最大の味噌でもある。 ところで、映画の内容に関してはすでにいくつかの素晴らしいレビューがあるので、以下では、格差について多少書こうと思う。 私は、共産主義に対する幻想は抱いていないが、格差をなくしたいという当初の動機は非常に素晴らしかったと考えている。おそらく今まさに貧困にあえいでいる人や、恵まれた環境にあっても心根の優しい人なども、格差をなくすべきだと主張するだろう。 私の見解を先に述べれば、極端な話、もし仮に完全な「機会の平等」が担保されている社会であれば、格差の存在は致し方ないと思っている。つまり、スタートラインが全く同じなのであれば、数十年後に生じてくる格差というのは、自ずと本人の努力の結果に起因するはずだからである。 しかし、多くの人がお気づきのように、本来、完全に機会の平等が保証されている社会などは存在しない。天才児と知的障害児という比較は極端だとしても、勉強の得意な子供と苦手な子供とに、最初から平等な可能性があるわけがないからである。また、裕福な家庭と貧困家庭とでは、教育にかけられる費用も当然違ってくるため、そもそも競争の環境にも違いがありすぎるといえる(実際、最近では、親の年収と子供の学力に正の相関があることがわかっている。簡単に言うと、東大生の親の年収が最も高く、大学の偏差値順に、親の年収が下がっていくという)。 また、何も学力や経済力に限らず、生まれながらにして埋められない格差というのはいくらでもある。わかりやすい例をあげれば、仮に私たちが、いくらイチローや松坂のように野球で大金をかせぎたいと思っても、彼らほどの才能に恵まれていない限り、絶対に無理なのと同じである。 つまり、残念ながら、個人の努力ではどうしても補えない不平等、言い換えれば、生まれに伴う格差というのは必ずあるのが現実である。そして、もしそうであるのならば、その分は政策で埋め合わるべきだというのが、私の基本的なスタンスである(ちなみに、機会の平等に近づけるための役割を、累進の所得税や相続税に担わせるべきという意味でいえば、私はケインズ主義的立場に近い)。 ただ、私がここで何を訴えても、すでに「小さな政府」路線を選択してしまった日本は、今後ますます格差が拡大していくことはおそらく間違いない。選挙によって多少環境が変わる可能性はあるにはあるものの、一端動き出してしまった「小さな政府」路線を今さら修正するのは非常に難しいはずである。 目下売り出し中のエコノミスト・勝間和代氏によれば、「資本主義社会というものは、厳しいいい方をすれば、『賢くない人から賢い人へお金が流れるしくみ』」だそうである(勝間和代『お金は銀行に預けるな』光文社新書、p.125)。確かに厳しい言葉が使われてはいるが、ある一面では、その言葉は間違いなく真実であると私自身も認めざるを得ない。 ただ、その一方で、ネットカフェ難民などと呼ばれる悲惨な人たちが少なくない現状を見るにつけ、何らかのセーフティネットはやはり必要ではないだろうかとも考えてしまう。私は、共産主義が良いとは決して思わないが、せめて国民全員が無理しなくても映画を観られるくらいの国であってほしいとは、少なくとも思うのである。

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