2007年12月22日公開

はじらい

LES ANGES EXTERMINATEURS

R18+1002007年12月22日公開
はじらい
2.9

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作品情報上映スケジュールレビュー

あらすじ・解説

映画監督のフランソワ(フレデリック・ヴァン・デン・ドリエッシュ)は、新作映画に出演する女優のオーディションを開始する。彼は“女性のタブーと喜び”に関する実験的作品を撮るために、女優たちにカメラの前でのマスターベーションを要求。多くの女優があぜんとしたり、怒って席を立ったりとなかなか役が決まらない。

シネマトゥデイ(外部リンク)

作品レビュー(17件)

セクシー32.6%不気味11.6%恐怖9.3%不思議9.3%知的7.0%

  • mal********

    1.0

    難解=フランス映画という図式はもう古い。

    2007年に公開されたフランス映画です。 新作撮影のため女優をオーディションする映画監督。しかし、そのオーディションとは監督の前で自慰行為をしなければならず、そのハードルを越える女優はなかなか集まらない(そりゃ、そうだわ)。果たして新作は撮影されるのか? というのが、おおまかな内容なんですが、主人公がそこそこ有名な映画監督という設定だから成立するだけなんですよね。いろんな女優がオーディションに参加する過程なんかは面白いとは思いますが、意味ありげな堕天使の存在は最後まで意味をなさないし、最後に至っては結局本作は何を撮りたかったのかって思うだけでした。 ”これがフランス映画だから”という理由は、もう成立しないと思うし、納得しかねます。映画の好みは人それぞれでOKだと思いますが、本作の良さ&面白さは理解できませんでした。

  • 我八

    1.0

    仏映画は難解

    堕天使って何してる。

  • いやよセブン

    3.0

    映画監督の業

    監督自身が経験し、有罪判決を受けている事件を映画化するなんて、いやはやなんとも。 女性のエクスタシーを映画にしようと、女優のオーディションを行う。 カメラリハーサルで監督と女優との間に独特の感情が生まれる。 フランス映画なのでエロティックさはさすが。

  • mii********

    5.0

    私たちは天使でも魔女でもない。

    息づかい・・・・・ 女優の眉間に皺がより、眉毛尻が下がる・・・・・ しだいに、荒々しくなる、息づかい・・・・・ 流れるように隆起した膨らみに息づくのは、互いの悦び。 そう、そこにはタブー視された女の深みが映し出されている。 溜め息がもれてしまう程の真実の女をみせつけられる。 どうしてこれ程までに造形が異なるのか、男と女。 女性であることを強調するかの如く流線美をなげかける。 これ程までも・・・・・ 他人の秘めた営みこそに興味を示すところ。 ましてや、自慰シーンを堂々と演じる女優たち。 果たして、演じているものなのか、そうではないのか。 この素敵な女性らの領域に男を交わらせなくて正解である。 いくら、引き締まったボディであっても・・・要らない。 この作品、この映像美においては男なんて必要ないものである。 この「はじらい」は、監督が前作「ひめごと」の製作過程でセクハラを訴えられ、 真実はこうであると弁明するために作られたエゴともとれる作品と解説されていますが、 しかし、 監督のどうしても我慢ならなかった嫌らしい気持ちとは裏腹に、美しく妖しく抑えた演出には共感がもてるところ。 その証拠には、 『 私たちは天使でも魔女でもない。 そう、私たちは決して命令を拒めない堕天使 』 というエスコート役を用意して、 可愛い堕天使ふたりが美しく輝く女たちの官能なる絶頂までを優しく見せてくれているのですから。 この監督がどのような気持ちで本作を世に送り出したのかは計り知れないものではあるが、映像には何らかの邪念すら感じられない。映像に罪はない。 映像の美しさ、女性の美しさに拍手を贈りたい。 優しく、そっと見届けてあげたい作品です。

  • ごぉ

    3.0

    セックスには演出が必要である。

    ポルノではなく、映画で、官能を表現しようとした監督の苦悩。 性行為に“慣れている”ポルノ女優を起用するのではなく、映画女優で“真の官能”を追究したい。 製作された映画「ひめごと」(2002)には、そんなジャン=クロード・ブリソー監督の思惑があった。 「ひめごと」の撮影中に経験した女優達との“関係”(これは性的関係のことではない)。 うずまく嫉妬や抑えられない欲情。 夫婦関係に生じたひずみ。 真正面から性を扱おうとしたがゆえに、上手くいかなかった関係性の数々。 まともな心理状態で、性を扱うこと自体が間違っていたのかもしれない。 その論拠を、この映画「はじらい」(2003)で示してご覧にいれましょう。 自分(監督)が性を扱って、性を表現するのならば、 自分だけが冷静ではダメなんですね。 でも、女優とともに興奮したが上で、性を構築したら、映画ではなく、ポルノになる。 そういった危険性と、常に戦っていたのでしょうね。 自分が“興奮を演じられたら”いいのでしょうが、興奮をリアルに演じれば、それは本物の興奮と区別がつかなくなってしまう。 ポルノと映画の差別化を図った作品、とみてもいいでしょう。 映画中でフランソワ監督は、警察に捕まるわ、ボコられるわ・・・大変な目に遭いましたが、実際のブリソー監督も性的虐待で有罪判決ですもんね。 ブリソー監督自身の体験をそのまんま映画化したと思われても仕方ないですし、観客もそれを承知で監督の“思い”と重ね合わせるのでしょう。 映画が大真面目なのが、ちょっと癪に障ります。 「実際はフランスのエロ親父なんだよ!」ってあっけらかんとした方が、まだ好印象なのですが。 エロ親父じゃなかったら、こういう映画は作れませんってば。 お下品な自らの人間性を、もうちょっと出しても良かったのでは? rakuten VIDEO

スタッフ・キャスト

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基本情報


タイトル
はじらい

原題
LES ANGES EXTERMINATEURS

上映時間

製作国
フランス

製作年度

公開日

ジャンル