ここから本文です

アイム・ノット・ゼア (2007)

I'M NOT THERE

監督
トッド・ヘインズ
  • みたいムービー 373
  • みたログ 975

2.58 / 評価:359件

吉田拓郎のアイドル願望のレベル

  • yab***** さん
  • 2016年12月17日 0時07分
  • 閲覧数 1674
  • 役立ち度 1
    • 総合評価
    • ★★★★★

 ある番組で、吉田拓郎が、「僕は本当は沢田研二みたいなアイドルになりたかったんだ。フォーク歌手で売れることなんか想像もしてなかった」と言っていた。
 要はフォークは売れる手段にすぎなかった。自分の気持ちをストレートに表現するフォークなんか自分の本意ではなかったんだと言いたげだった。

 ボブ・ディランもしかり。彼は元々ロックンロールを志向していた。でも、貧しくてエレキギターを買えなかったのと、一人では演奏できなかったということで断念したそうだ。
 彼は作中で、ケイト・ブランシェットの言葉を借りて、音楽には神秘性が必要だと言っている。歌詞の無意味さこそ崇高なのだ、と言っている。意味ありげな歌詞づらをしているフォークを痛烈に批判している。
 おそらくケイトの役が、フォークギターをエレキギターに持ち替えた頃のボブ・ディランを演じているのだろう。
 彼女が歌っている時に、一部の聴衆は、「ユダ!(裏切り者)」と叫ぶが、これはおそらくザ・バンドとのコンサートをイメージしているように思える。
 でも、ケイトは毅然として言う。「僕はフォーク歌手じゃない」と。

 トム・へインズの表現は斬新だ。ボブ・ディランを様々な角度からパッチワーク化している。
 しかし、あまりにも拡散している。フイクションとノンフイクションが混在するのは効果的だが、クリスチャン・ベールが歌う「時代は変わる」なんかがとても上手かったので、彼の美声をもっと聞きたくなったり、少年院を脱走した少年のギターをもっと聞きたいと思ったり、 ミシェル・ウィリアムズの使い方をもうちょっと考えてよ、と思ったり、あと一歩のところで画面が変わってしまうので、その目まぐるしさに消化不良になってしまった。

 フォークは死んだ、僕はフォークの神様じゃない、と簡単に言うのは言いが、一方、黒人の少年のギターに”これはファシストを殺すマシン”と記すなら、もっとフォークからの脱却への飽くなき葛藤を表現してほしかった。

 ボブ・ディランの素直な気持ちに忠実であろうと思い込みすぎて、ボブ・ディラン的フォークの終焉が、吉田拓郎のアイドル願望のレベルまで下がった感じがして、とても残念でならない。ケイト・ブランシェットだけはエクセレント!だったけれど。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

イメージワード

  • 未登録
このレビューは役に立ちましたか?
利用規約に違反している投稿を見つけたら、次のボタンから報告できます。 違反報告
本文はここま>
でです このページの先頭へ