2009年6月20日公開

ゆずり葉

1032009年6月20日公開
ゆずり葉
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作品情報上映スケジュールレビュー

あらすじ・解説

ろう者で大工の敬一(床崎隆志)は妊娠中の恋人・早苗(今井絵理子)を亡くして以来、映画を撮ることをやめていた。ある日、病に倒れた敬一は、20数年ぶりに映画作りを再開することを決意。無事に主演俳優も決まるが、その吾朗(福嶋一生)は結婚や妹の就職についての悩みを抱えていて……。

シネマトゥデイ(外部リンク)

作品レビュー(4件)

泣ける30.8%切ない23.1%悲しい15.4%勇敢7.7%笑える7.7%

  • ckk********

    5.0

    ゆずり葉を観て 仲間を想う

    全編手話で撮影されています 字幕が付いていますので、手話をご存じない方でも観れます ::::: 少し前の時代設定 少し前までこんな「見えない壁」があった 諦めるしかないのか? 普通に求めてはいけないのか? 何かがおかしい 自分たちが声をあげなければ・・・ 仲間が集まり、大きな輪となり力となり 「運動」の凄さを知る そして現在・・・ それらを受け継いだ者たちは、受け取るだけではいけない それを次へ渡さなければならない 今は何不自由なく暮せていますか? ほんとうに? 問題を見て見ぬふりしていませんか? 考えてみよう 自分のこと 仲間のこと

  • sei********

    4.0

    声の無いセリフ

    声の無いセリフを聞いた。 声を封印されたセリフが大半を占めるこの映画は、しゃべれる人間にとって想像を絶する映画であった。 しかし声が無いのにそのセリフは実に雄弁である。 私は残念ながら手話がわからないので字幕からその意味を知るしかない。 しかし、メインキャストであるしゃべれない役者達の「セリフ」は、彼らの実に豊かな表情、情熱的な演技、時折口からもれる声にならない声と相まって、心の底から見るものの感情をゆさぶり、涙させるのである。 「声が無いのに」と言ったが、それは間違いかもしれない。 誤解を恐れずに言えば、声が無いからこそ、彼らの演技は一段高みに位置しているとも言える。 もとよりしゃべれない方々が会話する際の表情は実に豊かであり、手話のわからない我々でも顔を見ているだけで、そのあふれる感情を容易に推し量ることができる。 そしてこれこそがまさにセリフというものの真髄なのかもしれない。 昨今の日本映画で頻繁に見受けられるストーリーや感情をそのまましゃべるだけの安易な棒セリフと実に対象的である。(自分は演技派であると勘違いしている若い“売れっ子”役者達はぜひこの映画を見て今一度このあたり考え直すべきだろう。) そんな想像を絶する映画は、われわれ「健常者」の想像を絶する弱者の現実を描いている。 「バリアフリー」とは何か?人は個人の努力を超えたところで、単なる運だけで社会的弱者となりうる。聾唖者だけではない。その他先天的に様々な障害を背負った人、事故や災害で心身や生活環境を侵されてしまった人、戦争の耐えない不毛の大地に生を受けた人、理不尽な差別に苦しむ集団に生を受けた人・・・等々。 これら全ての人が、現在の「健常者」と同じ条件で生活できる社会だけが「バリアフリー」と呼ばれるのである。 例えば私達は近所に車椅子が入れない建物がどのくらいあるか、通れない道がどのくらいあるか、意識したことがあるだろうか? こと歩行困難なハンディを抱えた人たちに限定すれば、それらのハンディが全て解消された社会だけが、本当に彼らの基本的人権の認められたバリアフリーな社会となるのである。 道のりは実に遠い。それは工程が長いから、困難だからではない。 我々=たまたま運に恵まれたに過ぎない健常者が、そのことを“考えないようにしているから”“知ろうとする義務を怠っているから”である。 自分や家族を守るのが社会人として第一義であることは否定しない。 しかしだからといって我々は他人がどうなろうと一切責任がないのだろうか? 我々は年間3万人が自殺する国に住んでいる。弱者に対する認識はお世辞にも高いとは言えない。危機は実に今そこにあるのである。 社会的な弱者を単に「運が悪い人」と脳裏から消去してしまっていいのか?「社会」や「政治」のせいにするだけでいいのか? 自分達の隣に助けを必要としている人は本当にいないのか? 「人間とはいったい何なのだろう・・・。」 声の無いセリフは真正面から我々に問いかけてくる。

  • lim********

    5.0

    涙が止まらないが元気の出る映画

     聴覚障害者を登場させた映画はたくさんあるけれど、いつも違和感を感じていた。しかし今回はなかった。  ろう者を、特別の浮いた存在ではなく、日常そこにいる人の姿として描いていたし、また健聴者と対立する場面もあることはあるが、ありうる話ばかりで、真の意味での対立を描いていない、むしろ相互が手を結ぶ相手としてと感じられた。  現実のろうあ運動もそうであろう。たくさんの人と手を結びながら、それでも議論しながら、そして議論が終わったらまた仲良くしながら、すすめられているのだろう。  聴覚障害があると、周りの人とは話がなかなか成立しない。寂しいものだし、すぐに弱い立場になってしまうが、それでもなお、聴覚障害者はタフに生きている人が多い。  障害を乗り越えるため、本人が努力することも数限りないはずだが、ろう者には手話というものがあり、聞こえる人のまねをしなくても、手話をもって堂々と生きていけるソサエティを既に築いていることが大きいのではないだろうか。そのソサエティはもともとからあったものではなく、先人の努力によって築かれてきたもの、継承していくもので、これを背景にもつろう者は強いと感じた。  現実世界で困ることはたくさんある。困るばかりではなく、心を閉ざさざるを得ない過去を持つこともある。  だが、そういう人たちに対して「私たちがそばにいるのですよ」というメッセージも感じられ、映画のストーリー中は涙が止まらなかったが、涙が止まらないにもかかわらず元気をもらって帰ってきた。  私自身、聴覚障害があり、邦画はほとんど見ることがない。だから他の邦画と比較はできない。  しかしながら、傑作だなと感じた次第である。

  • pan********

    4.0

    会場で見たほうがいいと思う

    興味があったので会場で見てきました。 この映画がDVD化されるかどうかは分かりませんが、会場で見るのと(仮にされたとして)DVDで見るのでは、色々なことが違ってくるからです。 この映画は耳の不自由な人達を描いたものですが、恐らく家で見た場合、「可愛そう・大変だな」など一瞬の感情で終わってしまうと思います。 ですが、会場で見たため、挨拶をする人・案内をしてくれる人・見に来ている人など、たくさんの人達が手話をしているのを目の当たりにしました。 自分の周りにこんなに、耳の不自由な人達が大勢いることにびっくりさせられました。 会場までの道程で道がよく分からなかった為、スタッフらしき人に道を尋ねました。 そしたらその方は、慌ててどこかへ行ってしまいました。 どうやら耳の不自由な方だったらしく、別の人(健聴者)を連れてきて、その人が私に道を教えてくれました。 その間(私が道を聞いてる間)、そのろう者の方は、道案内できなかった事を私に一生懸命ジェスチャーで謝っているんです。 一生懸命謝っているろう者の方を見て、なんだかなんともいえない気分になりました。 「謝らなくてもいいのに、なんで謝るんだろ。こっちの方が気楽に道を尋ねて、却って悪いことをした。」そのような感情になりました。 映画ですが、単純に良く出来ていて、見やすいです。 ほぼ思ったとおりの展開で話は進んでいきますが、1つだけちょっとしたひねりが入ってます。 自分は映画を見てあまり泣かないのですが、泣かせる映画だと分かっていて、思わず泣かずにいられませんでした。

スタッフ・キャスト

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基本情報


タイトル
ゆずり葉

上映時間

製作国
日本

製作年度

公開日

ジャンル