2009年12月19日公開

アサルトガールズ

702009年12月19日公開
アサルトガールズ
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作品情報上映スケジュールレビュー

あらすじ・解説

熱核戦争後の荒廃した砂漠の戦場に集まった3人の美しき女ハンターたち。ゲームマスターが空中から監視する中、ターゲットである巨大モンスターのスナクジラの群れを相手に、それぞれの戦闘スタイルでバトルを繰り広げていた。ある日、伝説の超大物マダラスナクジラを仕留めるべく、彼女たちはパーティーを組むが……。

シネマトゥデイ(外部リンク)

本編配信

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予告編・動画

作品レビュー(85件)

かっこいい17.2%ファンタジー17.2%不思議9.4%セクシー8.6%笑える6.3%

  • cos********

    1.0

    びっくりした!! 絶句を通り越しての苦笑

    ああー、びっくりしました! 押井さん監督の作品はこれ以外全部みてましたし、ファンです。 個人的に尊敬というか、それを通り越して神がかったセンスをもっていると思っています。 なので、びっくりしました 笑 映画としては、センスのかけらも感じない、驚くべき、 つまらない映画でした 笑 というか、ド素人に映画をつくらせたらこうなる みたいな 95パーセントが無駄なシーン 尺を稼ぐためだけに入れた、なんの意味もないカットの連続に 思わず、終始苦笑で見終わりました。 ギャグならギャグでまとめればいいのに、シリアスさとギャグがマッチしておらず、チンプンカンプンで、途中からは、それを狙ってやったのですと、言い訳をつくるためのシーンが続出。 ここまでくると、もう 世界一つまらない映画を作ろうとしたのか… と思うしかない。 くだらない映画ならまだしも、本当につまらない… 他作品のスピンオフやオマージュとしての見方や評価をしてもしかたありません。なぜなら、それらは作品としての価値があって初めて生きてくるものだからです。作品が死んでいれば、その過去にもマイナスの影響しか与えません。 それは女優にとっても同じことです。 驚くほどレベルの低い映画に出演した、これはもう レイプもののアダルトビデオと同じで、不の遺産を背負っていくしかないということ。 唯一、救いがあるとすると これは押井さんのギャグだ、という見方。 遊びでした。 という落ちですが、残念ながら押井さん 遊びというのは、本気でなくては意味がないですよ なので これは 押井さんが 「やってしまった」 作品でしかないのです。 人間だれでも、そういうことがありますよね 単純に、いろんな理由があって やってしまったのです。 唖然を通り越して 苦笑しながら見ていました。 ああ、やってしまったな と… そして、特典映像ですが… やってしまったことを 自覚しているのは間違いない押井さん なので やはり 「女優とSF」という 個人的な感覚の話 いや、それすごくわかりますよ。 でもそれって それは、本気で遊んでから初めて言えることですね。 でもある意味 押井さんという人間の、傲慢さと失敗、嘘、欺瞞、などが垣間見れる作品となっています。 やってしまった作品を、恥ずかしげもなく提示したことにだけ その正直さだけに 評価をしたいと思います。 笑 これからも期待しています 本気で遊んでくださいね!

  • oky********

    5.0

    ネタバレアヴァロンマニア待望の続編

    このレビューにはネタバレが含まれています。
  • bar********

    1.0

    私にはわかりません

    アサルトガールズ。 低評価するには、その作品をしっかりと見てからでなくてはならない……とはよく言われることですが、その「しっかりと見る」ことさえ我慢できないような作品もまた存在するわけでして、この作品は私にとってそういう作品でした……。 まずは冒頭の哲学っぽい戯れ言からして、我慢できませんでした。上っ面はそれらしくても、内容は結局は独りよがりな中学生の問題意識レベルでして、真剣に考える価値がない。さらに虫酸が走るのは、この作者本人もそういった言説を単なる商業的価値しかないように捉えているところです。真剣に見ようと努力していたら、容易に底が見える手品を見せられて、「こんなことで満足されても困ります。なぜなら私は一向に真面目にやっていないからでして……」と言われるような気分です。結局のところ、視聴者を馬鹿にしている。そのくせ、自分は他の誰からも容易に見抜かれるような底抜けの馬鹿なのです。 細かいことに口を出したらきりがないくらいなのですが……漫画(アニメ)と実写の違いをこの方は何もわかっていないと思います。普通であればデフォルメされた架空のキャラクターたちが織りなすファンタジー世界に、人間の肌と顔を持つ、実際的な人間が登場したら、どんな臭みをまき散らすのか……実写の世界は実写から考えなくてはならないということ。デフォルメが解かれるのは、キャラクターの像だけではない。その全てが一度解かれなくてはならないということに、この方たちは気づいていないのです。 こういったことは漫画やアニメでやらなくてはなりません。実写でファンタジーをやりたければ、実写用のファンタジーを、一からまったく作らなければならないのです。そしてその時、漫画やアニメで培ってきた知識や経験は、何の役にも立ちません。なぜなら実写でデフォルメの技術を使うことは不可能だからです。まずは人間の実像から考えていかなくてはならないのです。そういったことが、この方たちはうまく飲み込めておらず、既存のファンをあてにしてうまく食いつないでいこうと画策しているのではないか、とさえ思えてしまいます。 ちゃんと他の映画と見比べてみさえすれば、わかったはずだと思いますし、制作陣にそういった方がいて、そういった方の意見を取り入れるような体制であれば、間違いに気づけたはずだと思いますが、私が思うにこの監督は制作現場では殿様のように振る舞っていたのではないか……こういった駄作は『ゲド戦記』の駄作っぷりとよく似ており、周囲の意見を採り上げないことからくる暴走と捉えることができるのです。 この監督の作品には一度触れたことがあります。実写版のパトレイバーの1作目です。ひどいというか、この監督はひょっとすると、2000年より少し前で時が完全に止まっているのではないか、とさえ思われる内容でした。なぜまだこの業界にいることが可能なのか、まったく分かりません。

  • hun********

    2.0

    国産ゲーネタ・現実

    『アヴァロン』も「こんなマジになってるけどこれ、ゲームなんだぜ」で笑える作品だったが、本作はそれ以上に笑わせに来てる。wizのジョブシステムを現代戦の武装で読み替えるって着想はカッコよかったが、こっちはそこが曖昧になってる。爆発物飛ばしたり鳥になったりするのがいてこれはウィザードっぽいけど、スキルポイント振るっていう会話があったからパラメータの成長システムがよくわからなかった。 「死んでしまうとは情けない」とかスマブラみたいなコールのある格闘シーンとかモンハンとか、国産ゲーのオマージュがあるのは楽しめた。 話で楽しませる気がないのはわかったが、『アヴァロン』と違ってゲーム外の描写がないのは大きな不満だ。お金が足りなかったのかも知れないが、二宮金次郎のシーン入れるならそっちをやって欲しかったな。 闘争や暴力の欲求を、人為的な方法で安全に充足さとせるいうテーマは『スカイクロラ』でもやってて、本作は「リアルでは二人の子持ち」とか「お前こそプーだろ」みたいな台詞からも、そこを『アヴァロン』よりも重点的に描こうとする意図が見える。白川静の引用で重要なのは多分「神の出遊」ということだろう。神は仮想であって、ゲームにおける闘争も仮想だ。白川のいう「遊」概念には、現代語とは異なるシリアスな意味合いが含められているから、それを類比したものだと思う。 こういう仮想的闘争を押井守が描くのは、新しいことではない。押井は高校時代に学生運動に参加している。全共闘世代だ。まさに仮想的で「遊び」的な闘争である。 例えばテレビアニメ版『うる星やつら』に、第69話「買い食いするものよっといで!」という回がある。これは買い食いを禁止したい高校教師たちと、それに反抗する生徒たちという、学生運動の図式にくすぐりを入れた話だ。この回で朗々たる演説をするメガネには、以降明らかに運動の闘士を念頭に置いたキャラ付けがなされていく。 反復ということで言えば『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』がある。『天使のたまご』とともにタルコフスキーの『惑星ソラリス』の影響を色濃くうけた作品だが、この学園祭前日の喧騒は学生運動の混沌を想起させ、それを反復するという筋立てはゲーム的で、また押井の願望であるようにも思う。 これらの作品や『アヴァロン』では、反復による現実の相対化というテーマも大きく取り上げられていた。「現実など曖昧であるのだから、好きな仮想を選び取って、そこに没入していればいいのではないか」という理屈を有効にするためであろう。 本作でもその傾向はある。最初の長いナレーションでは、「現実など社会通念にすぎない」と言われている。私は現実は社会通念ではなくて経験に依拠して綜合的に抽象される概念であると思うが、それは今は措く。重要なのはさきに挙げた「リアルでは」という台詞だ。 『アヴァロン』ではゲームの仮想が少なからず現実にまで侵犯してきている。「未帰還者」という設定がそれである。仮想的にある操作を加えることでプレイヤーの意識を現実から切り離し、ゲームの仮想を現実と認識させることができるとする。実際にはゲームの仮想は仮想であって、現実と切り離して成立することなどない。あくまでも現実の電子信号のやりとりによって演出されているに過ぎない。それは「リアルでは」を言う本作の、ゲームの「第四の壁」をこえる登場人物たちの発言によって意識される。 本当は押井は、実戦的な兵器を使って学生運動をもう一度、誰も殺傷せずに、続けたいのだろう。しかし現実には不可能だから、そのはけ口を映画に求める。そして現実の相対化という論理が出てくるのである。 だが、仮想現実という技術の前に、本当に「現実」化される必要があるだろうか。それが「現実である」などと大げさに意識しなくても、没入することは可能ではないか。そのために、現実の相対化など、はじめからする必要はなかったのではないか。 そもそも人は、普段現実なんてものを意識しない。それは「現実以外のなにか」が存在しないからである。事情は仮想現実でも同じだ。ゲームの仮想であれ、映画の仮想であれ、それは全て現実に立脚しているに過ぎない。仮想は、演出をうけた現実というだけなのである。 「リアルでは」という台詞は、また現実の相対化や反復ということを描かなかったということは、押井守を観るにあたってひとつの論点として本作を位置づける。「現実は社会通念にすぎないのだから」といった前提なしに、「自分が好きな仮想に没入してもいいのではないか」と言うことの可能性が、本作に示唆されているように思う。それだけならば、私はそんな幻想に興味はないが、異論はない。 この映画が面白いか?と問われれば、私は否と答える。しかし同時に、押井守の作家史ということを考えるにおいて興味をひかれる部分も持っていると思った。

  • do_********

    1.0

    絶句

    よっぽど予算がなくて女優を一日しか拘束できなかったとかの事情があったのだろうか こんな詐欺映画を劇場で流してよく暴動が起きなかったな 見ている間ずっと感じていたこと 「何が楽しくてこんなもん撮ってるの?」

スタッフ・キャスト

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菊地凛子ルシファ
佐伯日菜子カーネル
藤木義勝イェーガー
イアン・ムーアゲームマスター

基本情報


タイトル
アサルトガールズ

上映時間

製作国
日本

製作年度

公開日

ジャンル