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アサルトガールズ (2009)

監督
押井守
  • みたいムービー 76
  • みたログ 213

2.02 / 評価:121件

国産ゲーネタ・現実

  • hun***** さん
  • 2016年7月25日 12時40分
  • 閲覧数 1044
  • 役立ち度 3
    • 総合評価
    • ★★★★★

『アヴァロン』も「こんなマジになってるけどこれ、ゲームなんだぜ」で笑える作品だったが、本作はそれ以上に笑わせに来てる。wizのジョブシステムを現代戦の武装で読み替えるって着想はカッコよかったが、こっちはそこが曖昧になってる。爆発物飛ばしたり鳥になったりするのがいてこれはウィザードっぽいけど、スキルポイント振るっていう会話があったからパラメータの成長システムがよくわからなかった。

「死んでしまうとは情けない」とかスマブラみたいなコールのある格闘シーンとかモンハンとか、国産ゲーのオマージュがあるのは楽しめた。
話で楽しませる気がないのはわかったが、『アヴァロン』と違ってゲーム外の描写がないのは大きな不満だ。お金が足りなかったのかも知れないが、二宮金次郎のシーン入れるならそっちをやって欲しかったな。

闘争や暴力の欲求を、人為的な方法で安全に充足さとせるいうテーマは『スカイクロラ』でもやってて、本作は「リアルでは二人の子持ち」とか「お前こそプーだろ」みたいな台詞からも、そこを『アヴァロン』よりも重点的に描こうとする意図が見える。白川静の引用で重要なのは多分「神の出遊」ということだろう。神は仮想であって、ゲームにおける闘争も仮想だ。白川のいう「遊」概念には、現代語とは異なるシリアスな意味合いが含められているから、それを類比したものだと思う。

こういう仮想的闘争を押井守が描くのは、新しいことではない。押井は高校時代に学生運動に参加している。全共闘世代だ。まさに仮想的で「遊び」的な闘争である。

例えばテレビアニメ版『うる星やつら』に、第69話「買い食いするものよっといで!」という回がある。これは買い食いを禁止したい高校教師たちと、それに反抗する生徒たちという、学生運動の図式にくすぐりを入れた話だ。この回で朗々たる演説をするメガネには、以降明らかに運動の闘士を念頭に置いたキャラ付けがなされていく。

反復ということで言えば『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』がある。『天使のたまご』とともにタルコフスキーの『惑星ソラリス』の影響を色濃くうけた作品だが、この学園祭前日の喧騒は学生運動の混沌を想起させ、それを反復するという筋立てはゲーム的で、また押井の願望であるようにも思う。

これらの作品や『アヴァロン』では、反復による現実の相対化というテーマも大きく取り上げられていた。「現実など曖昧であるのだから、好きな仮想を選び取って、そこに没入していればいいのではないか」という理屈を有効にするためであろう。

本作でもその傾向はある。最初の長いナレーションでは、「現実など社会通念にすぎない」と言われている。私は現実は社会通念ではなくて経験に依拠して綜合的に抽象される概念であると思うが、それは今は措く。重要なのはさきに挙げた「リアルでは」という台詞だ。

『アヴァロン』ではゲームの仮想が少なからず現実にまで侵犯してきている。「未帰還者」という設定がそれである。仮想的にある操作を加えることでプレイヤーの意識を現実から切り離し、ゲームの仮想を現実と認識させることができるとする。実際にはゲームの仮想は仮想であって、現実と切り離して成立することなどない。あくまでも現実の電子信号のやりとりによって演出されているに過ぎない。それは「リアルでは」を言う本作の、ゲームの「第四の壁」をこえる登場人物たちの発言によって意識される。

本当は押井は、実戦的な兵器を使って学生運動をもう一度、誰も殺傷せずに、続けたいのだろう。しかし現実には不可能だから、そのはけ口を映画に求める。そして現実の相対化という論理が出てくるのである。

だが、仮想現実という技術の前に、本当に「現実」化される必要があるだろうか。それが「現実である」などと大げさに意識しなくても、没入することは可能ではないか。そのために、現実の相対化など、はじめからする必要はなかったのではないか。
そもそも人は、普段現実なんてものを意識しない。それは「現実以外のなにか」が存在しないからである。事情は仮想現実でも同じだ。ゲームの仮想であれ、映画の仮想であれ、それは全て現実に立脚しているに過ぎない。仮想は、演出をうけた現実というだけなのである。

「リアルでは」という台詞は、また現実の相対化や反復ということを描かなかったということは、押井守を観るにあたってひとつの論点として本作を位置づける。「現実は社会通念にすぎないのだから」といった前提なしに、「自分が好きな仮想に没入してもいいのではないか」と言うことの可能性が、本作に示唆されているように思う。それだけならば、私はそんな幻想に興味はないが、異論はない。

この映画が面白いか?と問われれば、私は否と答える。しかし同時に、押井守の作家史ということを考えるにおいて興味をひかれる部分も持っていると思った。

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