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アブラクサスの祭 (2010)

監督
加藤直輝
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2.88 / 評価:58件

「明るいクヨクヨ教」

  • kinchan3 さん
  • 2012年6月13日 16時08分
  • 閲覧数 933
  • 役立ち度 2
    • 総合評価
    • ★★★★★

 鬱の人は多い。だいたい、この「鬱」という漢字字体が鬱陶しい。
 まことに多くて、迷惑なのだが、本人は大変なのだから、励ますこともむずかしい。この映画はいらいらする作品だ。身勝手だと思うけれど、そうとしか生きられないのだから、見守るしかない。
 東海林さだおの『明るいクヨクヨ教』(文春文庫)を原作者の玄侑宗久がブログで「恐るべき新興宗教の出現」と題して次のように書評している。そして、この文章の方が映画よりよかったりする。

 当初私は、こんな面白い本はお通夜のまえなどの深刻な状況では読むべきではない、という主旨でこの文章を書き始めたはずだった。しかし今、客の帰った茶の間をあとにしてお通夜用の服装に着替えたりしていると、なんだか人生ってこんな感じだよなあ、と思うのだった。つまり死という深刻なときまで、我々は急須のフタを落とすような迂闊な失敗を繰り返し、ネクタイのような虚飾に身をやつし、そしてジャンプ競技のような空しい喜びを本気で喜びながら生きていくのだなあ、と、なんだかシミジミと思ったのである。『明るいクヨクヨ教』とは、なんと深い人生の書だったのであろうか。
そうして驚きつつお通夜に出かけてみて、私はもう一度驚くことになるのである。遺体を前にしながらお経も終わり、ビールなど頂き始めてみると、そこはまさに『明るいクヨクヨ教』の世界。死を悲しみながらも人々は、料理の味のことやら包装のことまで話しだすではないか。あの客の洞察の深さに、私はあらためて打たれたのである。そしてなんだかワイワイやっていると、私の脳裏にあの単行本の帯の台詞がテロップのようにゆっくりはっきり甦ってきた。「どうせクヨクヨなら、明るくクヨクヨ!」私は思わず遺族の人々にそう口走りそうになって慌てて口を押さえた。
もしかするとあの本は、本人も知らないうちにいつのまにか信者になってしまうというような、恐るべき新興宗教のテキストではないのか? 私はテーブルの上に転がったビール瓶のフタをなぜだか尊敬の眼差しで見つめつつ、そんなことを思うのだった。

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