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新約聖書 ~ヨハネの福音書~ (2003)

THE VISUAL BIBLE: THE GOSPEL OF JOHN

監督
フィリップ・サヴィル
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3.83 / 評価:12件

ヨハネ伝の可視化の試み。もっと大胆に。

  • 百兵映 さん
  • 2015年11月13日 18時08分
  • 閲覧数 539
  • 役立ち度 2
    • 総合評価
    • ★★★★★

 「ヨハネの福音書を信仰的に再現したfaithful representation 」と断ってある。歴史の「科学的」な時代考証ではない、ということだろう。ヨハネ伝の文言を忠実に可視化した、ということだろう。随分と遠慮している。

 ヨハネ伝(キリスト教)に限らず、宗教の開祖や聖人についての“伝承”は、科学的に考証することは至難のことだ。だから、「信仰的に再現」としか言いようがない。敢えてその断りを入れておかないと、科学的な突っ込みどころ満載の作品になってしまう。

 それでも、福音書記載内容を可視化・映像化してもらうのは、大いに助かる。2000年も昔のこと、そして東洋の私たちにはただでさえ遠い地方のこと、言葉での説明だけでは分からないことだらけなのだ。欲を言えば、新しい葡萄酒のエピソードや姦淫の女の場面など、酒や女の背景を(脚色してでも)可視化して欲しい。

 これまた冒頭の字幕で解説される「ユダヤ人の宗教制度の間に起きた論議と対立」は全編を通してよく分かる。そこに描かれるイエス・キリストは、東洋でイメージする慈悲に満ちた救い主ではなくて、正義を貫く闘士のように見える。罪を赦して慰めてくれる母のような人ではなくて、罪を暴き悔い改めさせる父のような人に見える。アグレッシブなのだ。「信仰的」と言いつつ、結構理屈っぽいのだ。事実、イエスは殆んどの時間、“議論”をしている。

 せっかくだから、―― 言葉も「再現」してもらえないものか。イエスが、英語を喋ったのでは軽薄に過ぎる。仏教でもそうだが、原典・原語が漢訳されて、それがまた日本語に訳されると、誤訳とまでは言わないまでも、(言語が持つ文化が違うので、)元の教えとは随分異なったものになる。ギリシャ語であってもヘブライ語であっても、そしてまた弱小地方の方言や古語であっても、それが英語に表現し直されて、それが元もとの意味合いとずれることはよくある。原語で再現すると、おそらく誰も理解できないだろう。それでいい。英語圏の人々も、字幕で読めばいい。時々、ん?と思えばいい。

 ヨハネ伝は「はじめに言葉があった」という位だ。それは英語ではなかった。原初の意味が現代的に理解し直されるというのは有る。と同時に、英語で当たり前になった現代的理解を原初的に理解し直す努力もあっていい。そういうのも「信仰的な再現faithful representation」ではないのか。

 信仰的な評価は出来ないが、映画的な評価でいえば、☆4つ。

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