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八日目の蝉 (2011)

監督
成島出
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3.92 / 評価:3959件

号泣する準備はできていた

「子供は3歳までに一生分の親孝行をする」という話をどこかで聞いたことがある。

その話を聞いた当初は今ひとつピンとこなかったけれど、実際にヨチヨチ歩きの娘がいる今になってみると、その話の意味がよく理解できる。

この映画は、その「一生分の親孝行をする」期間をそっくり奪ってしまった母親と、逆に奪われてしまった母親、そして結果的に2人の母親を持つことになってしまった娘の3人の女性の物語だ。特に映画では、角田光代の原作やNHKのドラマ版とは若干異なり、どちらかと言えば娘の視点が強調されているように思う。

ちなみに、僕の娘は今まさに「親孝行」の真っ最中だが、その最もかわいいとされる3歳までの時間を実の親から奪ったという意味でいえば、奪った側の母親・希和子(永作博美)の犯した罪はこの上なく重い。極端な話をすれば、一生分の親孝行の時期を奪われた側の親にとっては、娘から親孝行をしてもらうことはもはや叶わないからだ(実際、そのあたりの親子の葛藤は映画でもちゃんと描かれている)。

にもかかわらず、原作ファンやこの映画を好きになった人の多くがそうではないかと思うが、いつのまに犯罪者であるはずの希和子に少なからず感情移入してしまうのがこの作品の凄いところだと思う。

ただ、落ち着いてよく考えてみると、たとえば今同じような事件が起きて、誘拐犯が逮捕されたというニュースだけを見たとすれば、僕はその犯人の行動に感情移入することは決してできないだろう。自分の身に置き換えてみれば誰もがそう感じるように、赤ちゃんの誘拐など到底許せるものではないからだ。それゆえ、単純にニュースで事実だけを聞いたとすれば、むしろ多くの人が奪われた側の親に深く同情し、奪った犯人を強く憎むのではないだろうか。

ところが、原作者の角田光代は、極めて深いが、しかし一方で極めて単純なメッセージを読者(観客)に投げかけることで、読者または観客の側が、偽物のはずの親子関係をいとおしく感じずにはいられない仕掛けを施している。

それは、「母親の無償の愛情」あるいは単純に「母性愛」と言い換えても良いかもしれないが、この映画で表現されているのは、「偽物であるはずの親子」を、いつのまにか「本物の親子」に見えさせるまでの過程に他ならない。そして同時に、いつの日かその親子関係に終わりが訪れることを我々観客が気づいているからこそ、希和子と薫の親子関係が余計に切なく感じられるのだと思う。

その意味でいえば、今回の映画化にあたっては、母親役(希和子)と子役(薫)が本物の親子に見えなくては全てが台無しだと思っていた。もっと言えば、そのキャスティングさえ間違わなければ、映画の半分は成功したようなものだと感じていた。結論から言うと、永作博美は期待どおりの母親像だったし、娘の薫役の子役の子も希和子の本当の娘にしかみえなかったから、僕の心配は全く杞憂だったことになる。事実、原作同様、別れのシーンのセリフは、間違いなく母親のそれだったように思う。

僕自身は、伊坂幸太郎原作の映画「重力ピエロ」のレビューでも同じようなことを書いたが、子供の成長にとって最も大切なのは、DNAやお金よりも、やはり愛情なのだろうと思っている。少し前に、実の子供2人を餓死させた母親がいたが、そんな母親よりは、ちゃんと愛情を注いでくれる赤の他人のほうが子供にとってもよほど幸せだろう。毎月のように虐待のニュースを目にする度、毎回同じことを思ってしまう。

長くなったのでまとめると、この映画は、僕が今年最も期待していた映画だった。過剰な期待もあり、タイトルにあるような号泣というわけにはいかなかったが、すーっと涙が流れ落ちるのを抑えることはやはりできなかった。

最後に、壇れいが主演したNHKのドラマ版も秀逸です。映画版を観て、気に入られた方は是非そちらもご覧ください。

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