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阪急電車 片道15分の奇跡
2011年4月29日公開

阪急電車 片道15分の奇跡

1192011年4月29日公開

melrose1004

5.0

一期一会の出会いのなかで

まずはその舞台設定に脱帽。 「アーバン」なテイストを出すには、JRじゃダメで私鉄でなければならない。 でも大都市近郊の私鉄なら何でもいいかというと、「南海電車」や「近鉄電車」じゃあかんねんなあ~、これが。 どこか漂う「洗練された上品さ」という要素がなくてはならない(あ、ちなみに僕は近鉄沿線育ちです^_^;)。 では、関東近郊ならどうか。 んー、あえて言えば「東急電車」か。それも、東横線じゃなく田園都市線。 けれど、「アーバンな上品さ」はクリアできても、あの「おばちゃんパワー」に代表される独特のアクの強さが出てこない。 ゆえに「阪急電車」やねんなあ~、これが。実にピッタリ! ひとつの街に、何万もの多くの人が同じ時間を過ごしているのに、それぞれがそれぞれの悩みや苦労を抱えている。 この映画は、互いにすれ違うそうしたいろんな人たちの、まさに「人生の機微」を織り交ぜるオムニバスなわけだが、それを「阪急電車」という沿線の個性に束ねたところが素晴らしい。 何人もの登場人物のエピソードが都合よく一本の電車で重なり合うなんてありえねー、と思うかも知れないが、これは、「ありえる」「ありえない」のレベルの問題ではなく、ストーリーテリングのテクニックに過ぎない。しかしそうでありながら、単なる「場所の提供」にとどまらず、それが「阪急電車」であるがゆえに、それぞれのエピソードをつなぐベース音として生きているところが見事なのである。 「私鉄沿線」というものにはそれぞれ独特の雰囲気があり、それが個性を作り出す。 たとえば学生時代なら、下宿は井の頭線にしようか小田急線にしようかと迷う。 たとえば所帯を持って家を借りるなら、小田急線(もちろん下北沢より向こう)にしようか、東急線(もちろん多摩川より向こう)にしようかと悩む。 たとえば家を買うなら・・・、やめとこう。 ひとつひとつの「街」ではなく、それを団子のように突き刺す串があって、それぞれにひとつの色が紡ぎ出される「沿線」。 だから、大人びた小学生に上品な制服を着させるには、「阪急電車」でなくてはならない。 だから、大阪名物「おばちゃん」に、集団で5000円のランチと高級ケーキの食べ歩きをするハイソさを求めるなら、「阪急電車」でなくてはならない。 だから、学力レベルが高くてしかもおしゃれな学生が集まり、電車に乗り合わせた高校生が目を輝かせて憧れるような大学を選ぶなら、「阪急電車」で通う関西学院しかない。 だから、後輩に男を寝取られたハイミスが上品かつ陰湿に復讐を企てるには、「阪急電車」で観に行くタカラヅカの雰囲気こそが良く似合う(やや、こじつけ)。 さて、とにもかくにも、そうした絶妙な舞台設定ができたうえで、ひとつひとつのエピソードがなんともハートウォーミング。 人生を一生懸命生きる人々の悲しみは、この映画では、大なり小なり共通して「悔しさ」という形で表現されているのだけれど、その「悔しさ」は、日常生活の中で誰もが感じたことがあるような身近なものばかりだから、一層共感性があって、観ていて一緒に我がことのように涙がこぼれてくる。 いわゆる群像劇だから、主人公となるべき登場人物がたくさんいて、その素晴らしさを説明するのにひとりひとりを挙げているとキリがないのだが、共通して言えることは、悔しさを経験し痛みを知った人が、次の涙を拭ってあげていくこと。 否応なく落ち込む気持ちを、ちょっぴりのユーモアと大きなやさしさで包み込んでもらう。 泣くだけ泣いて思い切り流した涙は、やがて自分自身の意思で止め、笑顔で明日を迎える。 そして、今度は次に悲しむ人に勇気を与える。 一期一会の出会いのなかで、それらが連鎖していくことの素晴らしさ。 ああ、今日観たこの映画を思い出しながら、これこそが今、前例のない試練に直面するわが国日本にいちばん求められていることなんじゃないかなって思えてきた。 当然狙ったわけじゃないだろうに、今このタイミングでこうした映画が上映されること。 それ自体が、また「やさしさの連鎖」なんじゃないかなって考えると、そんな天の配剤に感謝したくなるのだ。

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