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劇場版 神聖かまってちゃん/ロックンロールは鳴り止まないっ

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4.0

ネタバレつまりは大いなる皮肉

「神は死んだ(ニーチェ)」 「やっぱり…そんなことだろうと思ってました」 「映画は死んだ(ゴダール)」 「確かに…今と昔じゃ違う気がします」 「ロックは死んだ(ジョニー・ロットン)」 「そうですか…あの魂は今いずこ」 「劇場版〇〇〇」とか「〇〇〇THE MOVIE」とつく映画は色もの映画だ。色もの映画とは、テレビドラマなどの延長線上にある点に過ぎない。 ある『色もの映画』監督のインタビュー 「続きが見たいというファンの気持ちに答えるために映画版の制作を決意しました。」 ある『色もの映画』主演俳優のインタビュー 「結構プレッシャーですが、映画にする以上はテレビ版とは違うものにするつもりです。良い意味で裏切りたいな。」 ある『色もの映画』プロデューサーのインタビュー 「当初は映画にすることは考えてなかったんですよ。でも予想以上に評判が良かったんで、映画もありかなと思いました。」 さて、本作「劇場版神聖かまってちゃんロックンロールは鳴り止まないっ」は色もの映画であることは、おそらく間違いない。だが実はこの映画、批評性と皮肉をまとって色ものを装っているだけなのだ。 そもそも、テレビ版なんて存在しないし、かまってちゃんファンだって映画化を望んでいたはずはなかろう。評判が良かったのはバンドの活動であってテレビドラマではない。またそこには色もの特有のメジャー感はない。 例えば本編中、かまってちゃんを、引きこもり応援ソングで売り出そうとする堀部Pが登場する。(まるで色もの映画のP的な発想だ。)マネージャーは上司の命令に悩むが、そんなものはクソだと断る。<皮肉が効いてる> 結果的にライヴは盛り上がり、引きこもっていた人物の部屋のドアが開く。<皮肉が効いてる> そう彼はある意味正しい、でも間違ってる。 実は将棋少女も、彼女の親友とくっついた彼も、彼女の親も、森下くるみも、その息子も、幼稚園の先生も、マネージャーも、すべての登場人物が確かに正しいが間違ってるのだ。それは逆にも言える、ある意味間違っているが、正しいとも。 そんな正しいが間違っている人物たちが、最後にかまってちゃんライヴで集約される。 正しいが間違ってるという矛盾を抱えているのが人間であり、社会であるという大いなる皮肉を描いているのだ。 この作品を僕は色もの映画を装った本気映画だと見た。 これは僕の想像だが、ライヴを見終わった堀部Pは「何で解ってくれないんだ。応援ソングでいけば絶対売れるのに…」と改めて思うと僕は思う。彼はやっぱり解ってない。彼だけではない。すべての人が明日からまた、正しいが間違ってる、間違っているが正しい日々を過ごすことになるのだ。 詳しくは知らないが「神聖かまってちゃん」とその楽曲に、監督はそういった皮肉や批評性を見たのであろう。 鑑賞後、近頃感じていた無力感が吹き飛んでいることに気づいた。 映画も音楽も最高でした。今度CD買ってじっくり聞いてみます。 神は死んだ。しかし神はよみがえるから神なのだ。そして神はときより地上に使者をつかわす、ロックバンドの姿を借りて…映画の形を借りて…でもこれは正しいが間違っている。つまりは大いなる皮肉である。

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