ここから本文です

モテキ (2011)

監督
大根仁
  • みたいムービー 512
  • みたログ 4,588

3.59 / 評価:2,451件

サブカル「オタク」と不愉快な仲間たち

リリー・フランキー扮する雑誌編集長の台詞
「マーク・ザッカーバーグみてえになりてえなと思ってこの会社作ったのよ。おまえ達みたいなサブカル糞野郎から金を巻き上げて、みたいな感じで」

これがこの映画の全てを言い表していた。
ただサブカル糞野郎ではなく、サブカル「オタク」。
幸世はサブカル糞野郎ですらない。ただの自虐的でメンドクサイ人であり、サブカルっていうコンテンツじゃなくてサブカルっていう「ジャンル」が好きな人である。

水道橋博士から返信されてるからすげーとかいう思考回路がその証左。
自分のトークがサブカルトーク? めんどくせーやつ。

サブカル糞野郎というのは、この映画の雑誌編集長やその取り巻きのことだ。

いやむしろ大根仁監督や原作者久保ミツロウこそがサブカル糞野郎だ。
そうか、スッキリした。

選曲のセンス。なにこれ気持ち悪い。それぞれの曲自体に罪はない。念のため。

フラッシュモブ風のミュージカル。なにこれ気持ち悪い。

サブカルの定義とか、サブカルとオタクの違いは、ロマン優光が詳述しているとおり。

サブカル糞野郎(ビッチ)というのは「たいして好きでもない」サブカルっぽいコンテンツに首を突っ込んでは「わかる!」「ヤバい!!」「最高!!!」ときて「俺(私)センスいいっしょ!!!!(?)←重要」といった悪臭をリアルならず電波やネットでもまき散らす公害スカンクのこと。

選曲のセンス。なにこのつぎはぎ感。

サブカルのコンテンツは別に望んで「サブ」や「カウンター」になってるわけじゃない。メイン・メジャー狙ってるってこともない。
それにサブカルと呼ばれるコンテンツ同士の親和性もない。例外はあるかもね。

濃厚な感動体験というのはとてつもなくセルフィッシュだ。

その体験をなるべく鮮度の落ちないようにして届けようとするクリエイターがいる。当然そのコンテンツはわからない人にとっては叩き潰された蠅の死骸ほどの価値もない。ただし、わかる人にはものすごくわかる。もうホント自分のためだけに作ってくれたんじゃないかっていうくらい、悲しみも怒りも寂しさも、音にして、色にして、文字にして、動きにして、喜びにして、幸せにしてくれる。

そして、そんなコンテンツは万人に受けたりしない。不可能である。

もちろん、わかるから偉いなんてことはまったくない。

仮にわかったとしてその喜びを誰かに伝えたいってことで「わかる」「ヤバい」「最高」程度の言葉でしか表現できないなら、やめた方がいい。自分の感動も価値も薄っぺらくなるし、そのペラッペラさが相手にも伝わってしまうから。

それにしてもこの選曲のセンス。個人的には愛した人の遺体に蠅の死骸をまぶされたのを目撃したような不快感。それぞれの曲自体に罪はない。重要なのでもう一度。

映画の途中で幸世、というより森山未來は、サブカルっていう「ジャンル」が好きな人、から、唐突にただの糞野郎になり、麻生久美子はクリエイター系女子からこじらせ女子を通り越してメンヘラ女子になる。メンヘラ女子がどれだけヤバいか、メンドクサイか、にも関わらず可憐でもあるのか、大根(だいこん)監督は知らないのだろう。

映画の終盤、ただの糞野郎とビッチをダシにした喜劇にするのかと思いきや、衝撃のラスト。

ああ、なるほど。これはサブカル糞映画だったのね。

そしてサブカル糞野郎から金を巻き上げたかった。そういうことか。

うわー、糞まみれになっちまった。シャワーしてこよう。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

イメージワード

  • 笑える
  • 不気味
このレビューは役に立ちましたか?
利用規約に違反している投稿を見つけたら、次のボタンから報告できます。 違反報告
本文はここま>
でです このページの先頭へ