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英雄の証明 (2011)

CORIOLANUS

監督
レイフ・ファインズ
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  • みたログ 237

3.32 / 評価:92件

チャレンジ精神はいいと思う

  • bar***** さん
  • 2019年7月8日 21時03分
  • 閲覧数 154
  • 役立ち度 0
    • 総合評価
    • ★★★★★

英雄の証明。

シェイクスピアの戯曲『コリオレイナス』が原作(というかそのまま)になっている現代劇です。最初にうんちくを傾けさせてください。

そもそもこの『コリオレイナス』はシェイクスピアの戯曲の中でも非常にマイナーな作品で、上演されることも稀、文書では(日本においては)ちくま文庫のシェイクスピア全集か、まず書店では見かけない単行本を手に入れてしか読むことができません。

ですので、ご存じない方がほとんどだと思います。ただWikipediaを見れば、あらすじが丁寧に書かれていますので、興味を持った方は一読してみる価値があります。

ともかく、シェイクスピアの戯曲を現代風に仕立て上げるのは興味深いテーマだと思います。しかし監督のレイフ・ファインズ氏と脚本のジョン・ローガン氏の取り組みには、根本的な思い違いがあることを指摘しなくてはならないと思います。

それがキャラクターの創造です。もっと言えば、人間の社会学的な生態です。

普通、人間の社会や文化レベルというものは、科学技術の発達性によって左右されます。それは誰でもお分かりの事と思います。経済レベル、通信による世界の環境レベル、生活レベルが恐ろしくかけ離れた現代では、ローマ共和制時代に「善し」とされたことは、全くそぐわないものと映ります。(戦いと名誉こそ、大切なものだとか)

おおまかなストーリーは評価するにしても、セリフ周りに違和感があったというレビュアーの意見は的を射ています。キャラクターのセリフのみならず、哲学・倫理学はもう過去の姿であり、現代の文化とは全くそぐわないと考えます。

この作品の欠点は、物質的な環境と人間の文化を分けて考えたことです。つまり環境世界と心理世界の分離ですね。なぜそれらが別々のものだと考えてしまったのか、理解できません。たとえばこれは「道具」に注目してみれば簡単に理解できます。

人間が剣や盾で戦わねばならなかったときは、人間は敵に対して気炎を上げて突っ込まなくてはならず、剣で肉体を切り裂いて血を浴び、敵の断末魔を聞かなくてはなりませんでした。そのため、戦場でのそういった忌まわしい体験を忘れさせるような、戦士の美徳がとにかく尊ばれます。戦に出て敵を倒して帰れば国の英雄であり、彼らの行いは社会的に承認され、勇猛さがヒトの最大の美徳となります。そうすることで戦士の体験は浄化されるのです。

しかし銃が主力となった場合は、そんな浄化の儀式を踏む必要はなくなりました(実はそれでも戦場の忌まわしい記憶がなくなったわけではなく、全ては相対的なものにすぎません)。それは銃は遠くから、引き金を引くだけで相手を倒すことが可能であり、忌まわしい光景を見ることも少なく、自分が相手を殺したという責任感も(相手に剣を刺すより)弱まるからです。

ですからヒトの美徳が何かというものは、物質世界とのかかわりが重要なのです。それによれば、この映画のキャラクター造形は根本的に間違っているということがわかると思います。戦場の体験が異なる現代では、名誉や美徳といった概念がそもそも異なるのです。

私は、あくまでローマの政治劇を行いたいのであれば、舞台を共和制ローマ当時に設定しなくてはならなかったと思います。そして、もし現代劇に作り直したいなら、キャラクターやストーリーや舞台設定などを、細かに作り直さなければなりません。それはとても手のかかる作業ですが、とても楽しい作業なはずです。

アイディアは面白かったのですが、製作段階で無茶な設計をしてしまって、台無しになってしまうことは、実はよくあることなんです。チャレンジ精神は素晴らしいので、もっと色々やってみて頑張ってもらいたいですね。

詳細評価

物語
配役
演出
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音楽

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