2012年3月3日公開

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作品情報上映スケジュールレビュー

あらすじ・解説

2011年3月11日の2週間後、映画監督の森達也、ジャーナリストの綿井健陽ら4人が福島第一原発周辺の取材へと向かう。放射能測定器が高い数値を示し、4人はパニックになりながらも目的の地へと近づいていく。その後、一行は宮城、岩手へ。小学生の親と共に行った不明者の捜索では、4人に厳しい言葉が突きつけられる。

シネマトゥデイ(外部リンク)

作品レビュー(15件)

悲しい18.2%恐怖13.6%絶望的13.6%切ない13.6%不気味9.1%

  • xjd********

    2.0

    あいだを取って

    マスコミを皮肉って批判するために自らを悪者にしたように撮ってるなら星5つ、な〜んにも考えずにホントに行き当たるバッタリの撮影だったら星1つにもみたない0 .なのであいだを取って星2つというところ。

  • aco********

    3.0

    「原点」から再び思考するために

    あれから9年が経つ。 終わった気がしない。 まだ続いている。 その後も毎年のように災害がつづき、 この10年程で、完全に次の時代のフェーズに入ったような気もする。 とはいえ人の意識はといえば、そう容易く変われるものでもない。 コロナウィルスで「新しい生活様式」とか言われているが、 ある意味、311の後に、それまでの価値観が大きく揺らぎ、新たな生活のありようを模索して、行動に移してきた者たちもいる。 そういった個人レベルでの意識の変革と実践しか信じられる気がしない。 しかし、そうやって、かろうじて「確か」だと思えるものを一つ一つ確かめながら、かろうじて信じられるものを一つ一つ確かめながら一から築いてきたものが、再びコロナで機能停止になった者も少なくない。 本当にやるせない。 まずはどうにか生き延びること。 そのために、必要あらば、まっとうに声をあげ、まっとうに闘うこと。 声をあげてもあげても届かない、それでもあげつづけ、動いてゆくほかない。 それは「私」の権利であるだけではなく、 ここに来ることの叶わなかった彼女彼らの権利でもあるものとして。 彼女彼らと共に、何度でも一からはじめるほかない。 だが、目の前のことにただひたすら必死であるしかない、あれるうちはまだよかったのかもしれず、一度立ち止まってしまった瞬間、そこから再び一歩踏み出すにはどうすればいいのか、やるせなさ、無力感ばかりが広がって、どうすればいいのかさっぱり分からなくなってしまうということがある…。 そこから再び歩き出すための方法は、いまだに分からない。 つい、「あの時」をめぐるような話になってしまう。 が、(私だけではないのでは、と思うが)「あの時」は今の私にとって、ひとつの原点のような気がしている。 そしてこのドキュメンタリーを見ていると、改めてそこに立ち返って思考をはじめることができるような気もする。 この映画、批判は多いだろうと思う。 しかし、忘れないことだ。 あの時の動揺も、衝動も、やりきれなさも、どうすることもできない苦しさも、どうしようもない悲しみも、どこにぶつけることもできない憤りも。 「作品」として観れば中途半端かもしれない。 この映画の倫理性を問うことも止めてはならない(むしろ、製作者側はその覚悟があって、あえて出していると思う)。 とはいえ、この作品を起動させると少なからずあの時の空気が再び広がる。 それを自らの「現在」においてどのように活用、使用するか、が問題である。 パンクした車のタイヤ、子どもたち、豚の屍体、大川小学校、遺族の方の怒り

  • twi********

    4.0

    綺麗にまとまらなくてよかった。

    震災から5年というタイミングでまた当たり前にある幸せを手放しに欲深くなってしまう自分を戒めるためにも観賞しました。 記録映像なので、お涙ちょうだいでもなければもちろん美しい映像でもない。 見ている私達に語りかけることもなければ、魅せようと思って映しているわけでもない。 ただ、広い大地が、美味しい食物が、心を癒してくれる草花や木が、澄んだ空気や穏やかに波打つ海が、大切な人をものを、家を亡くされたご遺族の気持ちが一瞬にして一変してしまったことを4人によってただただ忠実に残している映画です。 決して美しい映画ではないです。 だけど、ジャーナリストの不屈の精神やマスコミとしての汚さ、それを残そうとカメラを向ける恐ろしさによって知ることのできない、でも知っておきたい真実を目の当たりにしたような気がしました。

  • rkq********

    1.0

    何も得るものがない駄作

    森達也監督の「A」「A2」観て一方的なオウム真理教に対する見方(殺人集団、麻原を信仰する狂信的なカルト集団)を別の角度で描く視覚が好きで観てみました。ただ延々と無尽蔵な津波の爪痕を淡々と撮り宿に帰ってビールとつまみを煽る。何かの狙いがあってあえてこの様なシーンを入れたのは承知してますが大川小学校のお子様を亡くされたご遺族にインタビューする無神経さ・・・無理やり言葉を発させようと言葉を投げかけ心境を語らせようとするバカで低能のマスゴミと何ら変わらず挙句に遺体を撮ろうとし遺族から棒を投げつけられ抗議を受ける・・・。御遺体にカメラを向ける神経がもはや鈍化し人間そこまで麻痺してしまうのか・・・・怒りに震えるシーンです。 自分がもしされたらどうなのか?家族を天災で亡くし挙句にマスゴミにカメラで撮られ ・・・まさに自分本位で撮ってるとしか思えない。そこまで撮らなくても十分そこから先は人間というもの感性、五感があるのだからいいでしょう?これは映画ではなくただ被災された方の感情を逆なでしに被災地に出向いた記録フィルムです。

  • qui********

    3.0

    あすは我が身

     森達也、綿井健陽、松林要樹、安岡卓治の4氏の取材素材を編集したドキュメンタリー映画、『311』をユーロスペースで観ました。  上映前に森監督がお話をされ、本作制作のいきさつを話されました。当初は作品するつもりもなく、発災の2週間後、福島、そして宮城県へと4氏は向かった、と。また、本作が2チャンネルで「犠牲者の死体を金儲けの道具にする」云々のスレッドが立っているけれど、確かにそうだと。メディアとは、そうした「うしろめたさ」と震災報道は無縁ではいられない。そこに書き込んだ人にぜひ実際に作品を観てもらいたい、と仰っていました。また朝日夕刊に掲載された評では、大川小学校の犠牲者遺族に対する質問が稚拙、という指摘があるが、そうならざるを得なかった、と。    そして、実際に観た感想としては、森監督をはじめ、練達の4人が、線量計がみるみるうちに高線量をたたき出すのに声を上げておびえる姿や、陸前高田のいけどもいけども瓦礫の山を見て呆然とし、大川小学校でお子さんを失ったお母さん二人の憤り、悲しみを前に言葉がほとんど出ず、ほかの撮影現場では遺族に罵倒されるシーンも、しっかり隠さず、収められていました。より“見栄え”のする映像、作品をつくろうとするならこうしたシーンはカットしてもおかしくありません(それが政府、一般マスコミのやってきたこと)。それを敢えてしないのが、4氏なのです。  常に揺れる画面(手持ちカメラ撮影)のため、もう途中で気分が悪くなりながら、必死に僕も観ました。映し出される無残な光景、悲しみにくれる遺族のみなさんを前に、なにもいうことはできません。ただ、痛烈に感じたのは、首都直下型地震が起きた場合、画面の向こうの惨状はすぐこちら側の世界のものとなるのだと、恐怖と、諦めを感じていました。こうして「3・11」を特別な出来事、としてとらえられるのは一体いつまでだろうか。こうして劇場で客観視しているけど、そんな余裕は東京人にはあるのか、と。  つまり被災者に冷たい政府の牙は、いつでも自分自身に向くのです。われわれはそれを認識しなければなりません。これは阪神・淡路大震災に対するこちらの人間の態度や世論の冷たさに恐怖を覚えたことをまざまざと僕に思い出させました。あすは我が身なのです。

スタッフ・キャスト

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基本情報


タイトル
311

上映時間

製作国
日本

製作年度

公開日