あらすじ・解説
1904年、若き精神科医ユング(マイケル・ファスベンダー)は高名な精神分析医フロイト(ヴィゴ・モーテンセン)が提唱する画期的な治療法を、新しく受け持った患者ザビーナ(キーラ・ナイトレイ)に実践する。そしてユングは彼女が抱えるトラウマの原因を突き止めるが、二人は医師と患者の一線を越え禁断の関係に。やがてザビーナの存在は、ユングとフロイトとの関係に確執をもたらしていき……。
シネマトゥデイ(外部リンク)
作品レビュー(82件)
- ステレオ
5.0点
ネタバレユング理論は危険なメソッド
このレビューにはネタバレが含まれています。 - タイムスリップ1.21ジゴワット
2.0点
2人の違いは分かったけど、この先何の役にも立たないかも。 「正気の医師には精神患者は治療できない」なんて、マイケル・ファスベンダーのユングにサラッと言われちゃうけどお医者様の先生本当ですか?
- tak
3.0点
デビッド・クローネンバーグ監督作なのに毒がない。そりゃ、精神分析医と患者が愛人関係になるお話と聞けば、スキャンダラスな響きはある。おしりペンペンされて興奮する彼女を抱きしめてしまうユング先生。確かに淫らな場面ではあるのだが、ユング先生が関係に溺れていくこともなく、己を抑え込む姿がかえって痛々しい。さらに師匠フロイト先生とも、考え方の違いで対立してしまうからなおさら。一般にも受け入れられる線に落ち着いた印象。 代表作のようなビジュアルのおどろおどろしさを求める気はないけれど、この内容ならクローネンバーグ監督でなくてもよかったのではと思えてしまう。それでもこの映画のユングは、クローネンバーグ映画に共通する何かに"堕ちていく男"の系譜とは言えるかな。 マイケル・ファスベンダーは、僕にとっては「プロメテウス」を筆頭に冷徹なイメージが強い。なので、この映画で演ずる、考えて悩んでだんだんと病んでいくユング役はとても人間的に見えた。キーラ・ナイトレイは、患者としてユングの元に連れてこられるヒロインが、ユングとの対話を通じて自分を見つめることで落ち着きを取り戻していく様子を、歪んだ表情やひきつった動きでこれ以上あろうかという熱演をみせる。元患者の精神科医としてユングの信頼を得るラストに向かって、だんだん印象が変わっていく。この演技には圧倒される。
- has********
5.0点
ネタバレ医学的見地は映画に求めない
このレビューにはネタバレが含まれています。 - とみいじょん
2.0点
心理学の巨星・フロイトとユングを描く映画。 ユングは、フロイトと別れてから、自身も精神疾患を患ったと言われるほどの心の危機を乗り越えて、ユング心理学(臨床心理士・故河合隼雄先生が学んだ心理学)を打ち立てた。「ユングはオカルト趣味に走った」みたいなことを言われているが、世界各地の民間伝承・神話が、いろいろな患者の話に出てくることに興味を持って、フロイトが提唱した”無意識”をさらに拡大して”集合的無意識”を提唱した。”曼荼羅”にも興味を持って、取り入れている。 心理療法で、転移・逆転移の取り扱いはとても難しく、心理療法の成功・失敗を左右するものであり、倫理の一つとして戒められている性的接触や二重関係(治療関係を持つと同時に恋人同士等の関係を二重に持つこと)にも関わる要件であり(現在では資格はく奪もありえる身の破滅)、心理療法を学ぶ時にスーパーヴィジョンを受けながらの訓練が必要になっている要点でもある。 (ちなみに、心理療法後に夫婦になって、後に離婚した、著名な精神分析家はフリーダ・フロム・ライヒマンさんとエーリヒ・フロム氏。他にも性的関係をもった人はいる。心理療法草創期の出来事) 自分の話に興味を持って、全身全霊で話を聞いてくれたら…。そんな相手に好ましい感情を持って…って、ある意味、ごく自然の成り行き。しかも、そこに”転移・逆転移”という、過去・今の満たされない人間関係が投影されて…。そんな気持ちを心理療法的に扱うのが肝なんだけれど、一歩間違えれば…。渦中に入っちゃうと、客観的に状況みられなくなっちゃうし、客観を貫くと、治療に必要な化学反応は起こらない。 なんて知識から、フロイト、ユング、ザビーナの心理的ダイナミックを期待して鑑賞したのだが…。 なんだこりゃ。 出だしこそ、キーラさんの好演もあって、ワクワクドキドキの始まり。ザビーネと対照的なエマの描き方もあり、暮らし等での人間にとって大切な安らぎを与えてくれるエマと、知的好奇心を分かち合い、高め合うことができるザビーネの二人を必要とし、その間で葛藤するユングとなるのかと思ったら、肩透かし。 フロイトとのやり取りも、映画の粗筋紹介だとザビーネを巡る三角関係みたいな書き方をしているけれど、理論支持とかの面では取り合いあったかもしれないけれど、フロイトがザビーネに”恋”するのかは疑問。だって、フロイトはその粘着気質もあってフロイト夫人への執着すごかったから。 お話療法は、フロイトの共同治療者であるヨーゼフ・ブロイアーの発案。ところが、ブロイアーの患者が「ブロイアーの子を妊娠した」という妄想にとりつかれ、ブロイラーは恐れをなして撤退。でもフロイトはそれ以後も改良・研究を続ける。元々、裕福な商人の息子として産まれたフロイトだけれど、神経心理学者として才能もあったけれどユダヤ人だったので大学に残れず、仕方なく開業医をしていた。そんなこともあって、業績を認められることへの執着が凄かった。 対してユングは、牧師の息子として産まれ、当時も今も著名な医師オイゲン・ブロイラーの元でチューリッヒ大学の助手を務め、将来を嘱望されていた人(フロイトが望んでも得られなかった職)。だから、師ブロイラーがユングをフロイトの許へ派遣し、ユングが自分の研究に興味を示しているという事が、フロイトの業績を世に認めさせる近道としても、自尊心的にも重要だった(ユングを息子とすることで、ユングの就いている憧れの職にフロイトは同一化できたという側面もあったのだろう)。 そんなふうに、フロイトはユングを大切にし、ザビーネからも影響を受け、自説をどんどん発展させていったけれど、フロイトの元には他にもたくさん集まっていたし、蜜月状態だったのはユングだけじゃない。 オットー・グロス(=オットー・ラング)も、最後はとんでもない説を唱え世間からそっぽ向かれたけれど、一時は時代の寵児となり、今につながる重要な論文を残している。 他には、映画には出てこないけれど、今のドライカースにつながるアドルフ・アドラーやフレンツィ、フロイトの末娘など。他にもサロンを訪れた著名人は枚挙にいとまなく、ナチス侵攻に当たっては、著名人のつてでイギリスに亡命できている。 という風に、フロイト側にはたくさんの人がいるけれど、 ユングをとりまく人々もたくさんいたはずなのに、 (ユングの理論構築に関与した患者はザビーネだけじゃない) なんで、ユングは、フロイトと決別した時に、心の危機に陥るほどとなったんだろう? そこらへんの心の機微が描かれるのかと思っていた。 ふう。 それでも、役者の演技は”らしく”見せてくれたし、 フロイトの家、ユングの家や病院等、 文献を読んでいるだけではわからない空間の様式美が見られたのは収穫でした。
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