4.0点
ネタバレ正統派ゾンビ映画
ゾンビ映画には2種類あり、ゾンビを眺める側の精神状態を描くタイプと、ゾンビの異常さや極限状況そのものに着目するタイプの2つに分かれるようです。 元祖ゾンビを創造したロメロの着想は前者です。 死者が行き返るという極限状況の中、ひとり1人のエゴが丸出しになり、従来のモラルや人間性がことごとく打ち崩されてしまいます。 ロメロのゾンビ映画では、いずれも「さて、そこからどうやって生き続けるべきか」を模索するところに焦点が当てられています。 ロメロ以後、何百本に及ぶゾンビ映画が作られましたが、大半が後者です。 生者である味方が、死ぬとくるっと反転して敵になるという、「将棋的」な構成になっているものはまだゲームとして楽しめます。しかし、大半は「死者が人肉を食らう」という異常性だけを売り物としていす。 よって、この手の類の大半は、単にグロいだけの駄作になっています。 この映画の作り方は、もちろん前者で、生きている人間の内面を照らし出そうとするものです。 恋人との死別、ゾンビの出現と言う絶望的な状況から物語が始まります。 甘い回想シーンはほんのわずかで、主人公には次々とゾンビが襲い掛かります。 ゾンビの大半は普段はじっとしており、獲物となる人間を感知した時だけ、もの凄いスピードで動きます。この落差が極端なので、前半にはかなりの緊張感が生まれています。 当初は主人公はひとりぼっちですが、すぐ近くの建物に3人が生き残っていたことがわかり、その人たちと合流します。 最初はぎくしゃくとした関係で、考え方の相違から言い争ったりもします。 しかし、ゾンビたちとの死闘を通じ、互いを認め合う友だちになっていくのです。 このスタッフが描きたかったのは、まさにそこで、総てを失ったかに見えた主人公が、友だちや新しい女性と交わす情を通じ、再生していく部分でしょう。 もちろん、完全に映画的描写が成功しているわけではなく、主人公の挫折感や心の葛藤、また友や新しい女性との心の交流も描き足りない部分はあります。 それでも、映画として十分に成立しており、最後までひきつけられます。 大きな建物での籠城戦など、この映画の監督や脚本家などは、ロメロ映画を知りつくし、これに敬意を表しています。 途中から「ロメロ映画の本質をよくわかってるじゃん」と感心させられました。 結末だけはロメロ的ではなく、明るいハッピーエンドになっています。 「続編を作ってまた商売しよう」などとは考えないところが清々しい印象を与えます。