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マーガレット (2011)

MARGARET

監督
ケネス・ロナーガン
  • みたいムービー 7
  • みたログ 178

3.00 / 評価:64件

視聴者に突きつける孤独と構造

  • bodprm さん
  • 2014年5月20日 13時56分
  • 閲覧数 1158
  • 役立ち度 7
    • 総合評価
    • ★★★★★

物語の始まりと共に、直ぐに目を引いた。
最初、気の強い生意気で口の減らない、投稿者達が言うように感じの悪い女子学生が自分の過失により、バスの人身事故を誘い、足のちぎれた血みどろの被害者に寄り添うも亡くなってしまった現実の処理にたじろいでいるところで、これは凄い作品だと感じた。
ヒューマンドラマとの分類もあったろうが、わたしは社会派サイコドラマと分類する。
多くの評価で、長い、意味のないシーン、わからない、といった声が多かった。プロの評価ですら、最後のシーンが落ちてない、だから今ひとつだといった事がいわれている。
実はわたしも、最後のシーンが甘い故にドラマ全体の解釈について考え込んだ。
しかし、最後の母と娘が何らかのシンパシーを感じて、抱き合った心を理解したとき、ようやく、このドラマの解釈が成立したように思われた。
それは、主人公リサが事故で亡くなった女性の親友から「あなたはドラマの主人公を演じているだけ、明日になれば犬が轢かれて死んでも泣かないわ!」のあたりから分かってきた。リサは晴天の霹靂で訳が判らない。「そんなつもりじゃない。。」これは結構、誰もが陥る事柄だ。自分は良かれと思ってやっている、故人は可哀想だ、だから罪人は裁かれなければならない、わたしは正義だといった風に自我(エゴ)が拡大してゆく。
転じて、親友の方はというと、もう彼女が帰らないのだったらせめて想い出を大事にしたい、彼女を忍んで皆で話し合おう、といった心境だったろう。それが自我(エゴ)だと言えなくもないが、少なくともリサよりは人間的である。
結局、それがどんなに美談であれ、自分勝手な物差しで外界をコントロールし、変えようとすることが、リサのすべての困難と悲惨を生み出していることが分かる。
リサの最大の破滅は、弁護士が介入する裁判和解の条件において、バスの運転手は35万ドルを支払う事で、解雇の求めを棄却できるというものだった。リサからすれば自分をこれほど悩ませた事故責任を、罪の意識のない運転手が解雇され、いま一度喪に服することにより解決、また辛かった自己の人生に勝利したかったのであろう。だがリサは敗れた。
諦観、消衰しきった心でリサは何度となく衝突し険悪だった母親とオペラを観に行く。
オペラを見ながら泣くリサを見て、母親はいつものリサではないと悟る。あれほど自分を罵倒する気丈な娘がいたいけに弱弱しい。
思えば、この母もまた主演女優を生業とし、まさに人生の主演となり、一般人の上に魅力的に君臨することで元夫や子供達をコントロール下に置こうと奮闘してきたのだった。
それも良かれと思って。だがその結果、夫を失い、恋人を失った。彼女は女帝になれたかも知れないが、終ぞ心を共有できる伴侶に恵まれなかった。彼女もまた女として敗れたのだ。リサもまた理解した。努力の甲斐なく惨めな、目の前にいる母は私と同じだ。
2人は抱き合った・・・。これをドラマの解決とするか否かは視聴者によると思うが、
私としては母娘をして人生において初めて、知性やステータスに頼らない、極端に言えば
愚かな自分を受け入れることにより得た、生身の人間の共感であるとすれば、どんなに賢くまた能力があろうとも、他人と真に繋がりたいならば、謙虚に自己を見つめ、他者のまた主人公であることに気付くべきだ、ということを逆説的に語っていると解釈したい。
ドラマ中、それを証明する人間達やセリフが登場する。リサの好んでいたマットデイモン扮する教師が、紳士的で結論付けない、旺洋さに見えて実は優柔不断で事なかれ的な人物だったことも非常に興味深い。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

イメージワード

  • 泣ける
  • 悲しい
  • 絶望的
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