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千年の愉楽 (2012)

監督
若松孝二
  • みたいムービー 92
  • みたログ 223

3.14 / 評価:120件

役者の好演は評価するが映画としては残念

  • hatimitumegane さん
  • 2013年3月10日 18時29分
  • 閲覧数 746
  • 役立ち度 17
    • 総合評価
    • ★★★★★

好きな役者が多く出演しているので鑑賞。
「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」以来若松作品2作目。

確かに俳優さんたちは良かったが、肝心の映画として出来は芳しくないように思えた。

テーマは「不条理ゆえに美しい命の賛歌」らしい。
抗えない運命の象徴として何度も連呼される“中本の血”という言葉。
具体的には「高貴で汚れた血」らしいが、そこがさっぱり理解できなかった。

少なくとも映画を見る限りでは“クズの子供はクズ”としか思えない。
中本さんは、放っておいても女が寄ってくる男前の血筋らしい。
親子親戚なら顔が似るのは当たり前だから、男前なのは当たり前。

問題はその先。
血筋や女を言い訳に、彼らは人の倫を外れ、犯罪に走り、刹那的に生きていく。
それは決して父親や祖父や先祖のせいではなく、彼ら個人の問題ではないのか。

いくら寄って来ても断れば良いのに、妻を泣かせて女遊びするのも自分が選んだことだ。
妻を寝取られた夫に刺されるのも当然というものだ。

遺伝性らしい眼病は気の毒で、確かに血筋のせいかもしれないが、覚せい剤も泥棒も自分で選んだこと。
殺人を犯してしまったのも、人生をやり直す決意が揺らぎ女に走った自業自得。

なので、彼らがいくら悩もうが、私の琴線には響かなかった。
彼らがああいう生き様をせざるを得なかったことに説得力があれば、また印象も違ったのだろうけど。

先祖のせいにして、目の前の現実に向き合おうとしない、人生を真摯に生きていこうとしない。
血筋のせいにして、怠惰な生活をし、快楽に溺れ、反社会的な行動を取る。
私にはクズにしか映らなかった。

原作は部落差別を根底に描いてあるらしいが、“血の穢れ”のようなものの存在を肯定するような本作は、本当に原作に沿っているのだろうか。

寺島しのぶの役割もよくわからなかった。
母親的な役割で中本の男たちを見守り続けていたのかと思いきや、なんのことはない。
他の女たちと同様、彼らに惹かれていたのだ。
二人との性的な冗談のシーンが執拗に挟まれていたのは、彼らを求めていた証でないか。
ラスト、染谷将太との関係は唐突に思えるが、そう考えるとしっくりくる。

であれば「生きているだけでいい。そのままでいい」と彼らを庇護する彼女は、彼らをダメ人間にしてしまった張本人である路地の女たちの代表なのかもしれない。

また、細かいことだが、一体いつの話なのか時代が分からなかった。
和服の人物が多いので、最初は明治期かと思ったが、軽トラや電線から違うらしい。
では昭和初期かというと、道路はコンクリ舗装で、家々は昭和50年代くらいの建物に見えてしまう。
軽トラに至っては現在その辺を走っているものと一緒ではないのか。
にもかかわらず人物は和装で、水道は通っていない。
このちぐはぐさにしばらく混乱し、途中から現実の日本とは関係ない架空の場所が舞台なのだと思うようにした。

帰宅して、調べてみたら昭和30年ごろが舞台らしい。
ロケ地は21世紀の日本なわけだからある程度は仕方ないにしても、
もう少しなんとかならなかったものか。
これは野暮な指摘なのだろうか。
もっとも、実際の昭和30年頃の和歌山だか三重だかを見たことがないので、
これがそうだと言われたらグウの音も出ないけれど。

次に、物語を案内する現在のシーンにも首を傾げた。
遺影の中で動く佐野史郎もどうかと思うが、寺島しのぶもひどい。
老衰で死亡するくらいの年齢のはずで、髪の毛こそ白髪にはなっている。
しかし、肌はシワもシミも全くなく、高価な化粧品をふんだんに使っているかのごとく張りのある状態に見えてしまった。

メイク丸出しの取ってつけたようなシワやシミで加齢を表現することがあり、
その安っぽさに辟易していたことは事実だが、あまりに老婆に見えない老婆に唖然とした。

細かい点だが、シーンが現在に戻るたびに、興ざめしてしまった。
遺影の佐野史郎も含めて、必要な演出だったのだろうか疑問が残る。
物語に観客を入り込ませるという意味では失敗ではないのか。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

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