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かぐや姫の物語 (2013)

THE TALE OF THE PRINCESS KAGUYA

監督
高畑勲
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4.00 / 評価:4,336件

☆とにかく、この汚れた世の中を生きよう☆

今晩、行われた試写会で今作を鑑賞。

原作である『竹取物語』のストーリーを
淡々と忠実に再現しているが、
抑揚感もなく、あっさりとした映画。

見方によっては、手応え感が無いと嘆くかもしれない。
何か期待をしても、拍子抜け感も感じるかもしれない。
アンチレビュアーにとっては残念ながら、
絶好の突っ込みネタになるだろう。

何かを期待して観る映画ではない。
何かを求める映画ではない。
それを認識しておかないと、
観る側の読解力の無さを認めず、
映画を否定するという短絡に陥りかねない。

誰もが知っている『竹取物語』。
この映画に、高畑監督は、どういうメッセージを込めたのか?
これを理解するかしないかで、この映画の面白さは解らない。
ほんの少しの理解力を使い、今を生きているとはどういうことなのか?
この二つを発揮することは難しいことではないと思うのだが。

この映画に込められたテーマは、
『生きているという実感』を観客に問いたのではないかと感じる。
かぐや姫をストーリーテラーとし、
『生きる』ということの様々な面を描いている。

都の華やかな世界、対峙する山村の貧しい世界。
充実感と虚無感。地についた生き方とは?
高貴な身分になるという目標は、本当に幸せなことなのか?

そして、かぐや姫が見た、今という汚れた世界。
かぐや姫の一言が、求婚者達を惑わし、
不幸に陥るという人の闇の部分。
映画という架空の世界を超え、
今の世界や人間の断片を投影しているかの様に感じる。

それでも、この世は、愛しいものであると、
この映画では強く伝えていると思う。
この汚れた世界でも、生きる意味がある。
生きている実感となるものがあり、誰もが持っている。
ただ、人々が鈍感なだけ。
それは、この世との別れという、
終わりという悟りで、痛烈に感じるということ。

月からの使者の存在の意味。
そこにあるのは汚れなき『無』の世界であり『理想郷』の世界。
それでも、この汚れなき世界でも、
生きるという意味を逆アプローチで見せている。

それを象徴しているのが、今作で流れている童歌(わらべうた)であり、
歌詞の一句、一句に重みがある。

そして、姫の犯した罪と罰。
今作では、具体的に描かれていない。
抽象的のヒントを見せ、観る側に様々な解釈を委ねる。
それが『生きている』という考察を拡げていく。

このメッセージを表現するのに、水彩タッチの様な、
シンプルな絵にしたのは正解だろう。
シンプルな色彩にすることで、人の仕草、行動が明確になり、
各シーンの人の心理面とかの奥深さを想像することができる。
色彩を増やし、膨大な情報量で、テーマが明確にならないこともあるのだと、
この映画が教えてくれる。

今作は☆満点。
この映画を観終わって、感じたことがもう一つある。

余り、書きたくないが、
ひょっとしたら、高畑監督作としては、最後の作品かもしれないと、
頭の中をよぎったこと。
前作、『ホーホケキョ となりの山田くん』以来、
14年ぶりの監督作であり、今作の制作が2005年からの作品であること。
制作期間の長さとインターバルの長さと、今年、78歳であること。
盟友の宮崎監督が『風立ちぬ』をもって引退したニュースがあったからこそ、
そう感じざるを得ない。

劇場にあった、今作のパンフで、
高畑監督の今作の制作に関するメッセージが書いてある。
要約すれば、今作は、一つの集大成であること。
そして、竹取物語のストーリーから、
『生きる』『生きていく』という意味を
一つの集大成として、今作で表現した。

エンドロールで流れた、二階堂和美さんが歌う、
『いのちの記憶』の歌詞の一句、一句に、観客は聞き入っていました。
中には二度目の涙を流している人がいました。
それがどういう意味を持つのか、皆さんに知ってほしい。

この世は、生きる意味があるのだろうか?
人の摩擦や、嫌な部分とかを毎日見て、
汚れた世界かも思うかもしれない。

それでも、愛しく思えるのは何故なのだろう?
生きているという実感があるからこそ、生きる意味がある。
汚れた世界だからこそ、
この映画が放つメッセージは重みがあると思うのです。

詳細評価

物語
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