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かぐや姫の物語
2013年11月23日公開

かぐや姫の物語

THE TALE OF THE PRINCESS KAGUYA

1372013年11月23日公開

nis********

5.0

ネタバレby 偽kamiyawar(知恵袋)

竹取物語(かぐや姫の物語)は「最古の物語」とも言われているものなのだから、学術的な価値が非常に高いと言える。 橋純一、中川浩文、新井信之の国語学的な研究などは大変に優れている。また国語学的な研究だけでなく、思想的な分野でもまた膨大な研究が為されている。 例えば亀井勝一郎は日本文学の悲劇的美学の要素として「貴種流離譚」であるとして、この『竹取物語(かぐや姫の物語)』を取り上げている(亀井勝一郎『日本思想の精神史』第1巻)。 古代の研究家として私が最も尊敬している折口信夫も同様のことを言っている。折口は語り部によって語り継がれてきた物語を綴ったのであろうとし、「日本古来の信仰である」と結論付けている(折口信夫『上代の日本人』第8巻)。 では何ゆえに貴種流離譚が悲劇的美学であり、日本古来の信仰とまで言われるのか。 それは各々の研究書を読めば、亀井なり折口なりの見解はわかるわけだけど、私は西田幾多郎的に西洋のキリスト教の「原罪」というものと比較しながら考えていくと非常に面白く、また人生にも有意義なものが得られると考えています。 映画に話に戻りますが、「かぐや姫」は罪を犯したために、卑しい身分である竹取の翁の下で育てられることとなった。でも、その罪が何かは書かれてない。 でも、ただ「罪」とだけあれば、昔の人には通じたものがあるんですね。 そして彼女は成長して非常に美しい女性となる。そのことで高い身分の男性にも求婚されるわけだけど、かぐや姫はその愛を受け入れない。その代わりに彼らに無理難題を吹っかける。 私は学術的なものの他に、人生哲学的なものを非常に重視するから、この遣り取りに深いものを感じます。 『竹取物語』というのは「高貴」というものを描いた物語なんですよ。現代には「高貴」が無いから分からなくなっているだけで。 「高貴」というのは「触れ得ない」ということなんですよ。自分に届かないものを抱くことで、人間は高貴に向かうことになる。それが人間を美学的に生かすことになるんです。 かぐや姫を手に入れるために、様々な難問が言い渡される。そこに「高貴」というものがあるわけです。 誤魔化す人間もおり、凄まじい生の躍動によって手に入れる人間も居る。 しかし最後には結局届かずに至高の高貴であるかぐや姫は去って行くことにある。 つまり、高貴というものの本質、意義というものを顕した文学なんですよ。届かない場所に置くことに意味がある、ということ。 それを自分勝手に荒唐無稽なものに摩り替えようとする行為そのものが下劣なわけ。宇宙人だのUFOというのは簡単に手が届いて、しかも夢想の中にしまっておける下劣なものだから。 キリスト教では人間は楽園で罪を犯したために放逐され、この世界に有限の生を持って生まれることとなった。その宿命的なものが、『竹取物語』のかぐや姫と通じていると考えているんです。 キリスト教ではだから神を求め、神を崇め、神の教えの通りに生きることを強要されている。それは一言で言えば「愛」というものなんです。そして、その「愛」とは現代的な恋愛ではなく、他者貢献のことなんですね。 ではかぐや姫はどのように役立ったのか。 それは、他者に人生を躍動して生きるように仕向けたことなんです。つまり「無理難題」とは、自分の利益の為ではなく、他者を苦しめる為でもなく、そこに「生命の躍動をさせる」ということなんですね。 各々の男が与えられた「探し物」がまた人生の躍動の要素の象徴にもなっているわけだけど、語るときりがないから。 そして躍動をさせたかぐや姫は「罪の限果てぬれば」ということで月に帰っていく。 つまり、自分の罪が許された、ということですね。これはキリスト教的な最後の審判に通ずるものです。どう生きたのか、即ち、どれだけ他者の役に立ったのか、ということが問われるわけ。 それと、もう書ききれないことだけど『竹取物語』の重要なキーワードは勿論「月」であることなんです。 古代の信仰は世界中で「月」だったんですよ。太陽である場合は少ない。何故なのか、という考察がまた面白いわけだけど、この『竹取物語』に於いては「かぐや」という名前に既にそれがある。 三省堂の『時代別国語大辞典』では「カグヤはカカヤク(輝)との直接の関係は解らない」としながらも、「カガヨフ(耀)と同義である」としている。 武田祐吉は『国文学研究』の中で「光を発する意であり、神霊が寄り付く表れであろう」としている。西宮一民も同様のことを言っていたな。 つまり霊的な光を感ずるものが「かぐや」である、ということ。だから古代の月信仰から導かれた物語である、ということが想像できるんです。月から来た、というかぐや姫の言動を詳細に研究していくと、古代の月信仰というものの理解につながるんですね。

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