あらすじ・解説
作文の添削ばかりで刺激のない毎日に嫌気が差している高校の国語教師ジェルマン(ファブリス・ルキーニ)は、クロード(エルンスト・ウンハウアー)という生徒が書いた同級生とその家族を皮肉った文章に心を奪われる。その秘めた文才と人間観察能力の高さに感嘆したジェルマンは、彼に小説の書き方を指南する。かつて諦めた作家になる夢を託すようにして熱心に指導するジェルマンだが、クロードの人間観察は次第に過激さを増すように。そして、その果てにジェルマンを思わぬ事態に引きずり込んでいく。
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作品レビュー(64件)
- mas********
2.0点
アマプラでは有料、Huluでは無料。Huluの無料期間が切れるまでにと思っていた「危険なプロット」と満を持して鑑賞した。 良くも悪くも「フランス映画」という感じだった。評価はまずまず高いので言うのを憚れるが、個人的には相当キツかった。途中寝てしまい中断、再開ということが2度。鑑賞するのに足掛け3日かかった。 「上質なサスペンス」「心理戦」「オシャレ」「度肝を抜かれるラスト」etc...。 最後まで観て、多くの玄人レビュアーさんがそう言いたくなる気持ちは薄っすらわかったが、いかんせん素人の自分には退屈過ぎた。 文才のある高校生が友人の家庭を小説にしていく内容なんだが、シーンは基本的にその友人の家庭内の描写と、指導する国語教師との会話のみ。現実とフィクションの境界線が曖昧なので、結構集中していないと置いていかれる(集中すると眠くなる)。 必死で食らいつけば、たしかに上質なサスペンスあり、心理戦もあることもわかる。映像はフランス映画らしくオシャレだった。ただ意味ありげなラストは、結局よくわからずじまいだった。 ラストの意味をどうしても知りたくて、いくつかネタバレ感想を参考にさせてもらったが、どなたの解釈もなんだかふんわりしている。それなのに、みなさん例外なく「素晴らしい」という評価。 なるほど。 この手のフランス映画は、何もかもを「理解」することが重要じゃない。理解しようと「感じること」それ自体が重要なのだ。絵画と同じだ。「わからない」というモヤモヤも含めて芸術なんだということが、この歳になって理解できた。 思った通りハードルが高いので、今後引き続きフランス映画は敬遠する。
- ivo********
3.0点
ネタバレ文芸作=のぞき趣味
このレビューにはネタバレが含まれています。 - 一人旅
4.0点
フランソワ・オゾン監督作。 高校教師に指導された文才のある生徒が常軌を逸した行動を引き起こしていく姿を描いたサスペンス。 フランスの鬼才フランソワ・オゾン監督がスペイン人作家フアン・マヨルガの戯曲を映像化した、巧みな構成に基づいた“(官能的)サスペンス”の佳作。作家になる夢を諦めた国語の高校教師ジェルマンが、生徒クロードの書いた学友ラファと彼の両親を題材にした作文に惹き込まれ、彼の文才を伸ばすためマンツーマンで指導に当たるが、クロードはラファの美しい母エステルに対する欲望を膨らませていきやがて倫理に反する過激な行動をとっていく…というお話で、親友の母親に魅了された主人公の危険な行動に伴うスリルと、美しく慎ましい母親が放つ官能性にドキドキの止まらない作風となっています。 構成が巧みな作品で、クロードが教師ジェルマンに提出する作文の内容と、クロードが親友ラファの家で体験した出来事が同時的に重なりながら彼の口によって語られていきます。邦題「危険なプロット」の通りに、クロードの体験がそのまま彼の作文の1ページとなり、やがては最後の1ページが明らかにされるに至って映画全体のプロットが構築されていく仕組みです。ジェルマンはクロードと親友家族の関係性の変容を第三者的視点から傍観しますが、そうしたジェルマンのある意味無責任な立場は“クロードの作品(作文)の一部”に図らずも組み入れられることで劇的に転回するのです。つまりはジェルマンの中のフィクション(作文)と現実の境界の崩壊です。エステルに対してクロードが抱く欲望のように、ジェルマンもまたクロードの書く作文の続きが読みたいという欲望に駆られている。作文の“共犯者”でもあるジェルマンは、クロードの思惑によって驚愕の結末へと迎え入れられていくのです。 主演のエルンスト・ウンハウアーは謎めいた文才生徒を落ち着きを払って妙演していますし(風貌はどことなく若い頃のジャン=ピエール・レオ風)、彼を指導するファブリス・ルキーニは良い意味で平凡な教師役に徹しています。二人の関係性はまるで『ベニスに死す』(1971)の再現のようです。そしてクロードの欲望に翻弄されるヒロイン:エマニュエル・セニエ(ロマン・ポランスキー監督の妻)の放つ成熟した大人の色気に悩殺されます。
- kih********
3.0点
本当にこれは“危険な”プロットだ。文学の授業のはずが、教師と生徒の、才能の利用か対立か、 “危険な”関係になる。生徒の創作を助けるつもりの悪事までやってしまう。 生徒の方では、職業作家になるつもりはない。単なる“覗き趣味”が発露しただけだが、先生の指導によって、危険なまでに行き過ぎてしまった。覗かれた家庭を辱しめる事態にまで発展。単なるゴシップ記者でしかない。 先生の指導の行き過ぎの結果、先生自身までも職業も家庭も失ってしまう。“危険な”生徒だった。 この一件は、生徒の危険因子によるものか、それとも先生が持っていた危険因子か。ひょっとしたら、文学というもの自体が“危険”なのではないか。覗き趣味だ。フィクションの文学であったとしても、それには実在の人間への洞察力が必要で、そのためには観察が不可欠で、それは基本的には『裏窓』からの覗きだ。 先生も生徒の覗きを支援し指導した(つもりであった)のだが、実は自分のことまで覗かれていた。ついには壊されてしまった。本当に“危険な”プロットだった。
- fg9********
3.0点
…あらすじは、解説のとおり。 かつては作家を目指していたジェルマン(ファブリス・ルキーニ)だったが、自分の才能の無さに見切りを付け、今は高校の国語教師として平凡に暮らしていた。 ある日、生徒たちに作文の宿題を出す。 どれもこれも作文とは言い難いお粗末な出来栄えだったが、一人だけ才能の片鱗を感じさせる生徒がいて、その作文が、~続く~となっていたので、添削指導しながら続きを書くように奨める。 しかし、その生徒クロード(エルンスト・ウインハウアー)は、実際に体験したものしか書けなかったので、同級生の数学の家庭教師を名目にその家庭に入り込み、その家族の一員たらんとする疑似生活を送り、物語の成り行きをジェルマンの指導、あるいは意見を交わしながら、登場人物のそれぞれの虚実の人生が描かれるというもの。 ジェルマンの妻役にクリスティン・スコット・トーマスが配されていてなんともお似合いの夫婦だったが、作文を通じてクロードを導いているつもりのジェルマンが、知らぬうちにクロウドに翻弄されていく様はなかなかブラック的なスリルがあり、痛烈なしっぺ返しも待ち受けていた。 ラストの、疲弊し切ったジェルマンとクロウドが公園のベンチに座り、マンションの区割りされたそれぞれの他人の家族を眺めるシーンは印象に残る。 外側から眺めているそれぞれの家族は虚でしかなく、実を知りたければ、その家族の真の一員にならなければならない、と思わせる一見の価値はある作品だった。
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