この『息子』たちに託すしかない。
- 百兵映 さん
- 2014年7月30日 11時35分
- 閲覧数 614
- 役立ち度 1
- 総合評価
Aの国(宗教・民族・文化)とBの国(宗教・民族・文化)の数千年に及ぶ対立はどうにもならない。一時的な停戦はあっても恒久的な和解には至らない。こういう相反する関係は、理屈でいえば“止揚”する以外にないのだが、それが分かっていてもその方法論が見いだせない。ひょっとしたら、『もうひとりの息子』たちとその家族が止揚の道を拓いてくれるのではなかろうか。
取り違いの『もうひとり』ではなくて、確信的な『もうひとり』が望まれる。ロメオとジュリエットは悲劇だったが、これが一般市民(庶民)の間でだったら、家族愛で包み込んでお目出度い話にはならないか。当分、第三国ででも『もうひとり』同士の止揚家庭ができないものか。
皆が『もうひとりの息子』を持てばいいのだ、と私は思っている。もちろん、取り違えはあってはならないことだが、Cの国(宗教・民族・文化)でもDの国(宗教・民族・文化)でも、身近なJの国(宗教・民族・文化)でもKの国(宗教・民族・文化)でも、……、
例えば留学生を受け入れるに当たってはホームステイを義務付ける大学があってもいい。ホームステイに当たっては、相互のホームがステイ受け容れすることを義務付けてもいい。あるいは奨励金を制度化してもいい。国際結婚には特別支援の体制があっていい。そこに生まれる『もうひとりの息子』には特別奨学金を制度化してもいい。
今、どこの国でも優秀な留学生の引き抜きに躍起だという。これはグローバル経済の視点からの競争でしかないのだが、グローバル和平の視点からの『もうひとりの息子』の支援競争に代わって欲しいと願う。親世代のカチカチの国家感を止揚してくれるのは『息子』世代に託すしかあるまい。
詳細評価
イメージワード
- 未登録
このレビューは役に立ちましたか?