ここから本文です

少女は自転車にのって (2012)

WADJDA

監督
ハイファ・アル=マンスール
  • みたいムービー 85
  • みたログ 281

3.94 / 評価:158件

サウジ社会≠イスラーム社会

  • han***** さん
  • 2018年11月12日 22時57分
  • 閲覧数 214
  • 役立ち度 2
    • 総合評価
    • ★★★★★

監督の映し出そうとした意図が浅はかに感じる。あるいは、その意図が伝わるような映像になっていない。

この映画では、随所に女性にとって様々な側面で閉塞感の強いサウジ社会の有様、また単に普段は情報が限られているサウジの日常生活について知ることができる点での価値はある。

しかし、本サイトのレビューからわかるように、視聴者はそれをイスラームと簡単に結びつけて受け止めてしまっている。この点が大変残念である。こうした問題はまずイスラームとは切り分けて、サウジ社会にはびこる(時に悪しき)アラブ的な慣習の在り方として受け止める必要があり、制作側がそれが伝わるように映像化する必要があったと思う。そうできていない以上、監督の洞察が不十分であると感じてしまう。

この映画で描かれたように、サウジには確かに男尊女卑的な社会構造があるのだろう。しかし、それはあくまで「サウジ社会」の出来事であって、「イスラーム社会」として一般的なものではない。彼女たちを抑圧するのはサウジに深く根付いた男尊女卑のアラブ的慣習、あるいはサウジの部族主義的家父長制なのである。一方、イスラームを少しでも勉強すれば、それがこのような差別的思想と真っ向から対立するものだということを知ることができる。

換言すれば、イスラームが女性を抑圧するのではなく、あくまでサウジ社会が(あるいはサウジにおけるローカルなイスラーム実践が)女性を抑圧しているにすぎないのである。この状況を相対的に理解したいなら、サウジ以外の国のムスリマ(ムスリム女性)たちがどのように生きているのか見てみればよい(もちろん、サウジに近い状況もあるだろうが、その逆もいくらでも見出せる)。

サウジにおける女性の抑圧という状況が確かに存在することは誰の目にも明らかであり、そのサウジを治める王族らが厳格なワッハーブ派的イスラームを実践することも事実である。
しかしながら、彼らサウジ人の実践するローカルなイスラームが、あるべきイスラームの姿と考えるのは全くの早計である。それが「真にイスラーム的かどうか」については非ムスリムの視聴者も、またムスリム自身らも、考え直す必要がある(なお究極的にそれを判断できるのは神だけではあるが、そこに近付く努力はできる)。イスラームにおけるジェンダーというテーマでは、ライラー・アフマド(ライラ・アハメド)などを引くまでもなく、これまで数多くの議論がなされているところである。

この映画はそういった文脈とは離れて、残念ながら「サウジにおける女性の抑圧」の鑑として「(女児が自転車に乗れて、肌を自由に露出できて、自由に恋愛できるといった、結局は)西側的な自由や女性の解放」を映し出してしまったのではないだろうか。しかし、それができるようになれば社会は健全なのだろうか。そこまで踏み込めていない点で「浅はか」だと感じざるを得ないのである。

ここまで述べたように西洋的な文脈での「女性の解放」が、本当に目指すべきゴールなのだろうか?なんでもかんでも自由にできることが、女性にとってよいことなのだろうか?もちろん、自転車にすら乗れない、あるいは自分の意志で服装を選択することすらできない…これらは極端な慣習であり、変えていくべきかもしれない。
しかしもう一方の極端はどうだろうか。時に所構わず肌を露出し、時には性的な消費対象に成り下がる…「女性の解放」はどこに向かってゆくのか?行きつく先にはモラルの崩壊ではないだろうか。もちろん、映画ではそこまで描いているわけではないが、視聴者はそうしたものを対置される価値として想起してしまってはいないだろうか。

なお、イスラームの聖典クルアーンには、女児に自転車を禁じたり、極端な服装を強いたり、男性が女性を奴隷のように扱ったり(映画ではそこまでの描写はないが)といった抑圧を正当化する文言は存在しない。すべて、人間たちの慣習、政治、文化などと混じり合うことで生み出されたものである。イスラームを悪しき習慣として単純化するのではなく、反対に、危険を孕む向こう見ずな「女性解放」を賛美するのでもない、「中道」こそが求められている。

すなわち「イスラーム社会がいかに女性を抑圧しているか」ではなく、そうした「サウジ人たちのイスラーム実践は正しいものなのか」ということこそが、発信すべきメッセージではないか。そして酷かもしれないが、抑圧を経験した当事者でもある監督自身ですら、何が「悪しき慣習」であり、何を変えるべきなのかを冷静に見つめることができていないのではないかと感じた。
仮に、サウジ社会に対して問題提起を行っていくという意志があり、その効果を狙うのだとしたら、サウジでの抑圧の状況に対して西側的価値観を対置するのではなく、イスラームの正しい実践をこそ提起するべきだと思う。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

イメージワード

  • 悲しい
  • 切ない
このレビューは役に立ちましたか?
利用規約に違反している投稿を見つけたら、次のボタンから報告できます。 違反報告
本文はここま>
でです このページの先頭へ