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ナタリー (2011)

LA DELICATESSE

監督
ダヴィド・フェンキノス
ステファン・フェンキノス
  • みたいムービー 19
  • みたログ 252

3.88 / 評価:151件

君たちはその他大勢のアザラシでいいのか。

  • 二酸化ガンマン さん
  • 2017年10月20日 23時47分
  • 閲覧数 1113
  • 役立ち度 4
    • 総合評価
    • ★★★★★

アルベール・カミュは言いました。「真に重要な問題はひとつしかない。それは自殺である。人生が生きるに値するか否かを判断すること、それこそ哲学の根本問題に答えることである。」しかし、男子にとって生き死に以前に重要な問題はひとつしかありません。それはモテるかモテないかです。
今日もネットのそこかしこには女性に対する呪詛の言葉があふれています。女は世間に優遇され過ぎている、女はカネにしか興味がない、女性専用列車を廃止しろ、非処女は人間に非ずetc。この男たちのどす黒い怨念はいったいどこから溢れてくるのでしょうか。
その恐るべき発想の根幹には「モテない」があると思われます。おそらく彼らにとって「モテる」という現象は、ラザロが蘇るよりも奇跡に近いのでしょう。
英国の劇作家トーマス・デッカーは「女さえいなければ、男は神のように生きていくだろう」と言いましたが、ならば彼らは男だけで生きればいい話です。ところが不幸な事にオスという生き物はそう簡単に神になれません。でも女はおれを相手にしない。だから女を憎むしかない。恐ろしい論法です。
かくいう私も、若い頃は(もちろん現在も)女性の高性能レーダーをいとも簡単にすり抜ける高いステルス能力を持っていたので、モテ連中をクソ野郎だと思った事も事実です。
だから私たち非モテ民族は努力をしなければなりません。身だしなみに気をつけ、ありったけの勇気を振り絞り自爆覚悟で女性にアプローチします。もちろん何度も死んで灰になりますが、そのたびに不死鳥となって蘇り、というとカッコいいのですがとりあえずにひっついた灰をポンポンと叩いて起き上がり、また自爆を繰り返しながら学習するという「オール・ユー・ニード・イズ・キル」的反復を行う事でようやく成果を得ます。
そうした努力もせずに、「おれがモテないのは女が悪い」と発想する事は傲慢以外の何物でもありません。

前置きが長くなりましたが、劇場未公開のフランス映画「ナタリー」です。
最愛の夫を事故で失ったナタリーは、夫を忘れるために仕事に邁進中です。彼女はある日、部下である冴えないスウェーデン男に突然キスをしてしまいます。何故だかわかりません。男は当然その気になりますが、彼は賢いので有頂天になりながらも「そんなはずはない」という事にも気づいています。それはそうです。薄い頭髪、ムダに大きな体躯、ダサい服装、どう考えてもつり合いの取れる身分ではありません。それに彼は多分「アメリ」を観ていないので、オドレイ・トトゥは時折突拍子もない行動を取るという事も知りません。
しかし成り行きから二人はデートをし、ナタリーは次第にこのムサいおっさんに惹かれてゆきます。周りの連中は不思議でなりません。特に彼女に惚れているちょいワル系上司は面白くありません。なんであんなダサい奴が彼女と付き合っているのか。

しかし観客にはわかるのです。

彼は外見的には確かに残念なのですが、繊細で、ユーモアがあり、そして優しいのです。アメリがあのヘンテコなマシュー・カソヴィッツに惚れたように、ナタリーはこの男の内面を好きになったのです。
この映画は一見女性向けですが、実はそういう意味で男性に対する応援歌でもあります。
見た目残念なあなた、そんなあなたにだって美しい心さえ持っていれば、オドレイ・トトゥが好きになってくれるかもしれないのだ、と。
クソ野郎でも外見だけでモテる奴がいるのは事実ですが、多くの非モテ男子が実は夢見ているように、真の残念野郎にトラ柄のビキニ美女が惚れてくれる事は絶対ありません。
(ただ外見も良いモテ男子の多くが女性には結構マメだと事は知っておかねばなりません)

ネットで「女氏ね」なんて言っているようなあなたたち、あなたたちは一生それでいいのですか?
一匹の強いオスがハーレムを作るために一生メスには縁が無くなる何十頭のオスアザラシとなり、さまよっているところをイヌイットに捕まって腹を裂かれウミスズメを詰め込まれて最後にはキビヤックの材料になってしまうのですよ。長いな。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

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