2014年6月14日公開

ホドロフスキーのDUNE

JODOROWSKY'S DUNE

902014年6月14日公開
ホドロフスキーのDUNE
3.7

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作品情報上映スケジュールレビュー

作品レビュー(45件)


  • waka

    3.0

    面白かったが…

    2022/06/30(木)WOWOWシネマにて鑑賞。 面白かったが所詮夢物語。タラレバの世界。

  • 映画の夢

    2.0

    存在しない作品はいくらでも絶賛できる

    私はホドロフスキーが好きでもなければ嫌いでもない。アップリンク吉祥寺でのリバイバル上映でこの映画を虚心坦懐に見たのだが、いやいや、漂う怪しさを押さえきれなかった。 インタビューを受けた人々ほぼ全員が『DUNE』をほめたたえている。存在しない作品だから確認のしようがなく、肯定しようが否定しようが勝手となるわけで、いささか卑怯な気がする。また、映画には『DUNE』の製作を拒否したハリウッド側の人物がまったく登場していない。しかも、ホドロフスキーは芸術=善、ハリウッドは商売=悪という、それこそ子供じみた紋切り型のイメージ操作をはめ込んでいるのである。これはうさん臭い。 『エル・トポ』がすばらしい作品であったことは認める。詩か散文かで言えば映画は明らかに散文なのだが、『エル・トポ』はストーリーや人物描写といった散文的な部分を可能な限り切りつめ、斬新な詩的映像をちりばめた稀有な作品であった。ホドロフスキーは映画を構築的に作るのではなく、直観的に作る人なのだなと思ったものだ。 とはいえ、中身うんぬんは別として『エル ・トポ』が成功した大前提の理由のひとつは、それが二時間(百二十三分)だったことにあるという、この事実を忘れてはいけない。ホドロフスキーは『DUNE』を短くても十二時間の作品にしようとしていたらしいが、これはもう異常と言うほかはない。 アルゼンチンの作家、ホルヘ・ルイス・ボルヘスは「数分間で語りつくせる着想を五百ページにわたって展開するのは、労のみ多くて功少ない狂気の沙汰である」と言って、生涯、節度ある長さの短編しか書かなかった。 もう少しさかのぼると、十九世紀アメリカの御存じエドガー・アラン・ポーは、読書する際の人間の集中力には一定の限界があるとして、詩の長さには制限が必要だと主張した。私も同感で、映画を見る観客の集中力にも限界があると思う。せいぜいで三時間くらいまでではないか? もし、ホドロフスキーが「自分は天才なのだから、十二時間の映画を作っても許される」と言うなら、おそるべき誇大妄想である。 『七人の侍』は三時間二十七分あるが、あれはとてつもなくおもしろい散文的ストーリーが綿密に展開するから、見ている側も耐えられるのであって、もし『DUNE』が『エル・トポ』のような詩的イメージで十二時間続く映画として作られていたら、見る側にとっては地獄の責め苦になったであろう。 ピンク・フロイドに音楽を依頼した時、まともに相手をしないメンバーに対してホドロフスキーは「人類最高の作品に関われるチャンスなんだぞ」といったせりふを吐いたらしい。そんなせりふをよく言えるなと思うが、そんなせりふを言ったことを四十年以上も過ぎた今、よくも自慢げに語れるものだとも思う。ナルシストにもほどがある。絶対に友人にはなりたくないタイプだ。 ホドロフスキーの才能を一応は認めながらも、ハリウッドが出資を拒否したのは当然であろう。後世への影響にしても同様だ。ギーガーやクリス・フォス、ダン・オバノン、メビウスらの宇宙船デザイン、キャラクターデザイン、セットデザインなどの個別の部分が個別に影響を与えただけであって、ホドロフスキーがトータルに影響を与えたわけではない。なぜならーーもう一度言おうーーホドロフスキーの『DUNE』は存在しないからである。

  • yam********

    5.0

    完全敗北した映画制作版「七人の侍」

    「エル・トポ (1970)」「ホーリー・マウンテン (1973)」の2作で観客に受け入れられたアレハンドロ・ホドロフスキー。 彼の映画をヨーロッパに紹介したプロデューサーであるミシェル・セドゥーと彼は、1975年、新しい映画の企画に取り組む。 SF小説に独自の解釈を大胆に加えて彼が書き上げた脚本のラスト。 砂の惑星を緑が覆い、殺された英雄の魂は全ての人々の心に拡がっていく。 自分と他者の垣根が壊れ、自我を越えて魂が溶け合っていく。 宇宙の隅々まで、物質も空間も超えて、魂と精神が拡散していく。 深くて哲学的なストーリー、斬新なデザイン、前衛的な音楽、驚きの出演者達。 もし実現していたら、どんな映画になっていただろうか。 わくわくが止まらない。 この企画に「命を捧げた」というアレハンドロさんは、「魂の戦士達」を一人一人スカウトしていく。 絵コンテ制作のメビウス、デザインのフォス、ギーガー、特殊効果のオバノン、音楽のピンクフロイド、役者のダリ、オーソン・ウェルズ、ミック・ジャガー。 「私は海岸に行くといつも砂の中から時計を見つけたけど、君は砂の中から時計を見つけたことはあるかい?」「見つけたことはないですけど、沢山の時計をなくしました」という、ダリとの出演交渉にまつわる問答が秀逸。 本作はまるで映画制作版の「七人の侍」みたい。 ハリウッドが悪い野武士であり、悪の帝国である。 魂を持つもの達と、魂をカネに替えたもの達との戦いである。 アレハンドロさんが志村喬に見えてきたw。 彼はこの企画を全てのハリウッドの大手映画会社に持ち込んだが、黙殺された。 黙殺された上に、1984年、デビッド・リンチによって映画化されてしまう。 失意の中で映画館に足を運んだアレハンドロは、それが失敗作であることを確信し溜飲を下げた。 デビッド・リンチ監督はファイナルカット権を持たなかったために、映画会社の言いなりになるしかなかったらしい。 「自分の作りたい物を作りたいように作る。一切の変更と妥協を拒否する!!」というアレハンドロさんの姿勢と真逆である。 その意固地とも言える頑なさが企画を潰してしまった原因とも言えるが。 映画の芸術的側面とビジネス的側面の臨界点、それがDUNEだ。 「映画という芸術を通して人々の意識を解放する」という大志を抱くアレハンドロさんの情熱は、ハリウッドには通じなかった。 でも彼のあふれる想像力はその後のSF映画に多大な影響を残した。 ※ 以下、本作中の挿入句、インタビューなどからの抜粋です What is to give light must endure burning. 世界を照らす者は 己の身を焼かねばならない /Viktor E. Frankl 彼らには価値は分からない 作り手ではなく 会計士や投資家だから 金勘定するだけだ ハリウッドが拒絶したのは 彼を恐れたからだ 豊かな創造力と 強靱な精神によって 自分たちが脅かされるとね あの映画が作られなかった 本当の理由は”恐れ”だ ホドロフスキーとセドゥーは 「DUNE」のあと 別々の道を歩んだ それから35年後に この作品をきっかけに また一緒に映画を 造ろうと決めた それが「リアリティのダンス」である 彼にとって 23年ぶりの新作となる 主演は 息子のブロンティス 2013年のカンヌ映画祭で プレミア上映された ミシェル・セドゥーとホドロフスキーは本作『ホドロフスキーのDUNE』を通じて再会。ホドロフスキー曰く「彼は私のことを怒っていると思っていたんだ。我々は『DUNE』を完成できなかったから、彼とは話したくなかった。私は自尊心が強い男だからね。ところが会ってみると、まだ友人同士であることが分かり、2人とも『DUNE』を完成できなかったことを悔いていた。そこで私は新しいプロジェクトについて彼に話した。彼に何がほしいと聞かれたので、こう答えたんだ。“映画を作るために100万から200万ドルの資金がほしいが、内容は言えない。口を出されたくないんだ。私を信じてほしい。完成したら見せるから”すると彼は即座に“いいよ”と答えた。涙こそこぼしはしなかったが、彼の即答には本当に感動したよ。涙が流れる前に、その場を去らなければならなかったくらいにね」  https://www.uplink.co.jp/dune•jodorowsky.php

  • s_w_l_j

    4.0

    全力で取り組む素晴らしさ

    デューン関係ということで見始めったが、ホドロフスキーの語り口が情熱的で感動的。エネルギッシュで魅力的な芸術家なので、他の作品も見たくなった。

  • ピニョン

    3.0

    ネタバレ関係者が大物揃い。

    このレビューにはネタバレが含まれています。
  • mak********

    1.0

    原作をレイプすると語るホドロフスキー

    本編中に①原作をレイプする②上映時間12~20時間にしたいーと嬉しそうに語るホドロフスキーを見て、僕は正直ガッカリしました。①ならDUNE映画化じゃなくオリジナルにしろよと、原作を読んだ僕は思ったし②なら、5部作以上に分けないと長過ぎて劇場鑑賞は無理でしょ。もし実現していればSF映画の歴史が変わる程の傑作という評判なので、勝手に期待し過ぎました。失敗作という評価のデビッドリンチ版は、少なくとも内容やセリフは原作に忠実だと思います。5時間?を2時間にカットしたせいか、原作知らないと描写不足で分からない点が不満ですが。現在製作中のドゥニ・ヴィルヌーブ版は、どんな出来栄えになるのか注目して待ってます。

  • par********

    5.0

    あり得たかも知れない未来

    映画・アート界の超大物たちを招集するも直前で製作がキャンセルされてしまった幻の超大作『DUNE』の舞台裏を明かす、未完映画のドキュメンタリー。 アレハンドロ・ホドロフスキーといえば、今や誰もが認めるカルト映画の大スターだが、彼がSF小説の金字塔『デューン・砂の惑星』を映画化を目論んでたと聞けば誰もがそれを観たくなるだろう。しかしそれは作られることはなかった。前衛的すぎるホドロフスキーの世界観、高額な制作費が配給会社を尻込みさせてしまったのだ。 ホドロフスキーの『DUNE』はいわば約束された傑作、そして確信的なカルト作。作られた時点でそれは映画史に途方も無いインパクトとイマジネーションを与え、その後のハリウッド映画の様相を一変させるのは確実だった。この映画が公開されれば、中身のない空虚な大作映画が跋扈する今のハリウッドは存在しなかったかもしれない。ひょっとしたらホドロフスキーの言う通り、人々の意識すら確変しかかもしれない。そういう期待すらも抱いてしまう、夢の企画であった。 だが、作られなかった。悲しいことだ。しかし、それによって新たな映画史が紡ぎ出された。『スター・ウォーズ』のような骨董無形なスペオペが流行り『ブレードランナー』『エイリアン』といった作品はその後のSF世界を決定付けた。そして今のハリウッドがある。私達はもはや『DUNE』が作られた世界に向かうことは出来ないし、それに向かうはあまりにも今のハリウッドを愛しすぎている。 『DUNE』といえばデヴィット・リンチが作った愚作もあったが(リンチに企画を取られて傷心だったホドロフスキーが、劇場でその失敗ぶりを目にし活力を取り戻す話は面白い)、意外にもホドロフスキーの『DUNE』のエッセンスを受けていたのには驚いた。 たとえばハルコンネン邸宅はギーガーのデザインが流用されているし(ノンクレジットぽいけどいいのかな?)、ハルコンネンが反重力装置で浮いてという設定も原作にはなかったはずだ。フェイド・ラウサがスティングなのも、ホドロフスキーがその役をミック・ジャガーにオファーしていた因縁だろう。音楽がピンクフロイドからTOTOになってるのにも因果を感じる。 意外にもホドロフスキーの軌跡を辿ろうと努力した映画化だったのだと知れた。それにしたってリンチの悪趣味要素が強すぎたと思うけど。 メビウス、ダリ、ギーガー、クリス・フォス、オーソン・ウェルズ、映画かSF好きなら必ず聞いたことある名前がポンポン出てくるのがまた楽しい。ウェルズのハルコンネン、観たかったなあ。空浮くデブがウェルズって、皮肉が効いてて最高じゃないか。 態度が気に食わないとダグラス・トランブルを蹴ってダン・オバノンを選抜するホドロフスキーの慧眼も愉快。『2001年宇宙の旅』よりも『ダーク・スター』を信じたんだぜ!? クリス・フォスはファンなので、彼にはもっと映画界で活躍して欲しかったなあ。この企画の一番の心残りだ。フォンよりも一般受けしなさそうなギーガーが映画史に名を残すことになるのは皮肉だ。ダリはヒッチコックの『白い恐怖』で素晴らしい美術を残していたのでそれかなと思いきやまさかの俳優オファー。でもそれもキマっていたんだろうな、きっと。 ところで、ホドロフスキーの『DUNE』は原作・リンチ版とは違う終わり方を迎える。ポールは死に、惑星自体が救世主となり緑の惑星となったデューンが宇宙を漂う。ちなみに原作は原作のほうでこれまた未完であり、一巻もあくまで巨大叙事詩のいち部分、アトレイデスの誕生を描いてるに過ぎない。ハーバートは結末を描けなかったが、これも美しい一つのエンディングだと思う。 物語を脚色したホドロフスキーの主張が興味深い。『花嫁は純白のドレスを着ている。着たままでは子供は作れない。犯すために引き裂くんだ。大きな愛を込めてね』 映画化により物語が改変されるとよく「原作レイプ」と批判される。しかし物語を映画にするには、まさしくレイプを必要とするのだ。 お流れになったこの企画は数々の才人を残したまま空中分解した。しかしギーガー、オバノンは名作『エイリアン』を生み出しその後のSF映画を決定づけた。この成功がなければリドリー・スコットは『ブレードランナー』を作れなかったろうし、ブレランがなければ今に続くサイバーパンクの歴史もない。攻殻機動隊がなければマトリックスもなくマトリックスがなければ…、そういった無数の”IF”を妄想してしまう。(ちなみに映画『攻殻機動隊』も押井守の頓挫した押井ルパンから派生した作品である) ひとつの失敗が偉大な映画史の歴史を決定付けた。『DUNE』は壮大な失敗だった。それでも「失敗したなら違う道を歩けばいい」と語るホドロフスキーの力強さに励まされる。結局の所、可能性というのは失われてもまた別の可能性へと変わっていくだけなのだから。

  • ivo********

    5.0

    ネタバレ創られるべきだったのか?

    このレビューにはネタバレが含まれています。
  • neu********

    5.0

    狂気のプラン、作られなかった価値

    映画にまつわる内幕もの、メイキングムービー(結局メイクされなかった訳だが)の中でも特別な、もはや製作されなかった事に意味さえ見い出せてしまう程に魅力に溢れた作品である、 登場する人達の証言と時代背景、彼等のその後の活躍を知る私達からすると、この映画「ホドロフスキーのDUNE」を観るだけで、想像の中で当時彼等が造りたかった作品を観ている気分になる事が出来る、結局完成しなかった映画、を描いた作品を観て、我々がそれぞれの脳内で映画を完成させる、と云う構造はまるでボルヘスの「ハーバート・クインの作品の検討」やスタニスワフ・レムの「完全な真空」の様に、架空の文学の評論文集ならぬ架空の映画のプランと云う、いわゆるポスト・モダン文学的に鑑賞する事が出来ると共に、映画に限らずクリエイティブに不可欠な「想像する事の力」の本質を感じさせてくれる作品である、 映画ファンの間では長らく噂になり、語り草になっていた(伝説の)実現しなかった映画の裏話が、こんなに丁寧に、それも本人達の証言によって語られる映像を観る事が出来る日が来るとは思いもしなかった、それだけで感動ものである、そして、齢85才のホドロフスキー御本人の少年の様に眼を輝かせて映画を語る、その姿にクリエイターの想像力の底知れぬ力と情熱を感じぬ者は居ない筈である、、作品中に登場する、メビウスの絵コンテ、それを懐かしげに説明するホドロフスキーの場面では、若きメビウスが監督の傍らで目にも止まらぬスピードでペンを走らせる姿が想像の中で再現され、ギーガーやフォスの当時の原画からは当時の若きクリエイター達の、まだ見ぬものを創造しようとするエネルギーを追体験する事が出来る、 この作品に対して、予算的に実現不可能であっただろう、とか、当時製作されなくて正確、などと後付けの判断をするなど言語道断! 彼等は実現の可能性を信じ、自らの作家人生を賭けてこのプロジェクトに挑んだからこそ、その経験から、後にダン・オバノンはSFサスペンスの傑作「エイリアン」の製作に関わりH・R・ギーガーはそこで映画界の傑作デザインを生み出し、クリス・フォスは「ブレードランナー」のデザイン構築に貢献し、メビウスはバンド・デシネの第一人者として世界中のコミックに影響を与えた、その全てがこのプロジェクトから始まっているのである、この映画は彼等若きクリエイター達がまだ見ぬビジョンを目指して奮闘した記録、夢見る力のエネルギーに満ちたドリームプランなのである、 話しを聞けば聞く程クレイジーでクリエイティブな狂気の老人ホドロフスキー監督の、想像力、と、創造力、の凄まじさはには感服である、日本の映画界にこの御老人の十分の壱程でも良いから純粋に映画に向き合い、自己のビジョンを実現する為に闘う事の出来る映画製作者が居たら、日本の映画界も少しはマシになるのでは無いか、いや、ただ仕事で映画を撮っているだけの常人と、映画という芸術に魅入られ取り憑かれた才能有る彼らと同列で論じるなど論外か、、、日本で下らない映画に出資する位ならホドロフスキーに出資したら良い、直ぐに資金回収出来るかどうかは分からないが、少なくても映画の歴史に貢献する事は出来る。

  • カーティス

    3.0

    そりゃ金は出ないよね…

    制作されずに終わったホドロフスキー監督版『デューン』についてのドキュメンタリー。制作に携わった方々のインタビューで構成されているのですが、ところどころに当時の絵コンテを元にしたアニメーションが挿入されていて、「これが完成していたらどんな映画になっていたんだろう…」と想像を掻き立てられます。 印象に残ったのは、完成しなかった映画の話なのに、制作に携わった人が皆前向きに話していること。とくにホドロフスキー監督が印象的でしたね。作品に対する情熱と愛情が画面から伝わってきました。 と同時に、制作が打ち切られたのも納得してしまいました。だって、こんな情熱的な人にSFを撮らせたら、金がいくらあっても足りなかったでしょうからね。 それに加えて、元の企画からして上映時間が12時間もあったり、コンテの内容が当時の技術では実現が難しそうなものばかりだったりと、お世辞にも現実的な企画だとは思えず…。そりゃ金は出ないよなと。 仮に作られたとしても、当時の技術じゃ、スタッフの作った素晴らしいコンテやデザイン案を再現するのは難しかったでしょうし、ホドロフスキー監督には悪いけど、作られなくて良かったと思ってしまいました…。

  • fli********

    3.0

    後々影響がすごいらしいですね。

    未完でもなのか、未完だからなのかわからないですが、後々の映画界にとんでもない影響を与えたのはわかりました。 ただ、あの時代にホドロフスキーが思い描いた通りの映画が本当にできたのかは、素人考えですが、難しかった気がします。 でも、あの本欲しいです。

  • Tシャツおじさん

    4.0

    ●掘り出しモノ

    ●昔、「デューン」を観たことがあるのですが、 ●こういう逸話があったとはね。 ●興味深く拝見しました。

  • #naonaru#

    4.0

    ホドロフスキーの才能と情熱が確認できる・・。

    貴重な作品。 彼本人と彼の才能に触れた同志の語りが確認できる・・・。 ホドロフスキーがどれほど映画界に影響を与えたのか・・・ その才能と力を確認できるとても貴重な作品だ。 ピンクフロド・・・ダリとの逸話・・・凄すぎる・・・w ホドロフスキーの話を聞けばホドロフスキーがまともに思えるわけだが 逆の視点からみればホドロフスキーも相当の変人なのだろう・・w そういう視点で観るのも面白い。

  • n_e********

    4.0

    ネタバレほら吹き男爵/錬金術師

    このレビューにはネタバレが含まれています。
  • tos********

    3.0

    本当に製作されたらいいな

     ホドロフスキー監督は知りませんでした。原作の「DUNE」も読んでいません。デビット・リンチ監督の「砂の惑星」は以前観ました。スティングが出演で話題になっていました。スケールがデカい映画でしたが、あまり印象に残っていません。   ホドロフスキー監督が企画。出演予定、サルヴァドール・ダリ、オーソン・ウエルズ、ミック・ジャガー他。音楽、ピンク・フロイド。デザイン、HRギーガー。という壮大な映画が70年代半ばに企画されて頓挫。映画会社はデビット・リンチに監督させた。ホドロフスキー監督自身が、その成行きを語るドキュメンタリー。映画会社に残っている精巧な絵コンテが、後の映画に多大な影響を与えたようです。さらに、こうしてドキュメンタリーとして残るなら、80過ぎでこんなに元気な監督は報われたのかもしれません。

  • じぇろにも

    2.0

    ネタバレ部屋の中をアップでパン

    このレビューにはネタバレが含まれています。
  • bon********

    3.0

    ネタバレそりゃそうだろ

    このレビューにはネタバレが含まれています。
  • いやよセブン

    3.0

    お金は出せないなぁ

    デヴィッド・リンチが映画化した「砂の惑星」はホドロフスキーから横取りしたものだった。 原作は読んだと思うが記憶に残っていない。 難解な映画作家のホドロフスキーがこれにチャレンジし、絵コンテまで作るが、ハリウッドはお金を出さなかった。 この絵コンテはその後多くのSF作品に影響を与えたらしいが、これでよかったと思わせるドキュメンタリー。

  • snt********

    5.0

    疲れた時の一本

    とりあえず元気出ます。 別にSF興味ない人にもオススメ 皮肉な事に、今の所この監督の代表作より、ドキュメントのほーが高評価。 なんだろう?この監督の目を見てると引き込まれます。 生きてたら、メビウスのインタビューも見たかった。 とりあえずイエス!

  • nat********

    1.0

    監督。。あなたには無理でした。。。

    2001年宇宙の旅、スターウォーズ、エイリアン、ブレードランナー、未知との遭遇、ジュラシックパークetc 名作の映画特にSFの歴史は、壮絶な特殊効果との闘いと、監督の映像への異常な審美的こだわり、この2つが結びついたときに生まれてきた映画史の事実があります。極論を言えば内容よりも特殊効果のリアリティや映像へのこだわりが映画を発展させてきた側面が強くある、レイ・ハリーハウゼン、フィル・ティペット等のストップモーション技術。なによりもスターウォーズとジョージルーカスとともに誕生したILMを中心とした特殊効果が今の映画の基礎。 スターウォーズ当時、SFは子供向けと言われ、SF暗黒時代、当然予算がない中自主制作に近い形で生まれたスターウォーズがあの陳腐な内容にもかかわらず名作となったのはILMによる革新的特殊効果技術とルーカスの美術的センスによるところが大きい。 そう考えるとホドロフスキー監督には上述の多くの要素が欠けている。彼の監督作品、当時の絵コンテや、デザイン、一部のセットなどから判断しても、彼にもその技術スタッフにも、DUNEの映画を監督・制作する資格はゼロに近い。。と言わざる負えない。なによりもあれだけの分厚い設定資料がありながら世界観が統一されていない、それは単に監督に明確なビジョンがないため個々のアーティストにまかせっきりで、ごった煮になっているだけ、アーティストの才能により後の映画の設定に部分部分使われたりしているだけであって監督の功績ではない。 リドリー・スコットの「エイリアン」のデザインと美術制作、コンセプト等を担当したスイスの画家ギーガもかかわっていたが、ギーガのイメージを映像化するためのノウハウも技術も映像に対するこだわりもホドロフスキー監督にはない。ギーガの画集にこの時のことが細かく書かれているがギーガはダリの推薦で声がかかり、打ち合わせをしていたら「自由に君の暗黒惑星の世界を出してくれ!!」と熱弁され、報酬を尋ねたところ「あまり出せないが君にとって宣伝になるからな!!」・・・と言われギーガは数点の絵を描いた、無名に近い若きギーガの映画界への第一歩と考えると、若き芸術家たちの尻を叩くことは上手かったのかもしれない唯一の評価すべきところかも。。 結果として、当時のハリウッドの判断は正しかった、ホドロフスキーにはこの映画を作る技術もセンスも備わっていないように思える。デヴィッド・リンチ版DUNEよりも低レベルになっていた可能性が高い。 この映画がつまらないドキュメントで終わっているのは、映画化できなかったのは外的要因、ハリウッドや予算、国による差別によるという立場で描かれているから駄作としか言いようがない、見ていて首をかしげることばかり。本当に映画に情熱があるのならどんな形であれ完成しているはず。ハリウッドをあっと言わせ、認めさせるための特殊効果や斬新さ満載の作品を、短編や冒頭部分だけでも作り納得させればいいだけのこと。それをしなかったってことは才能も熱意もなかったってことです。 まあ、映画に関わった当時の人たちのいい思い出ムービーができてよかったですね。

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