ここから本文です

アクト・オブ・キリング (2012)

THE ACT OF KILLING

監督
ジョシュア・オッペンハイマー
  • みたいムービー 242
  • みたログ 435

3.55 / 評価:249件

英雄か孤独な道化か

  • Komatsuya さん
  • 2019年6月30日 22時24分
  • 閲覧数 443
  • 役立ち度 3
    • 総合評価
    • ★★★★★

長尺バージョンで視聴。

過去の行動を自ら再現していくことで、罪の重さに気づかされてしまう。これまで胸の奥底に押し込めていた感情が溢れ出してしまう。

精神科の療法のようだが、これは、虐殺犯が、再現映画に自ら出演する、というかなり特殊な状況のドキュメンタリーである。

主人公のアンワルたちは、「プレマン」と呼ばれる民兵というかやくざ。インドネシアの1960年代の「共産主義者」大量虐殺の実行犯たちで、今も「英雄」扱い。堂々と町を闊歩し、市場でショバ代を巻き上げてもどこからもお咎めなし。裕福。

しかし、周囲からはどこか一歩距離をおかれているように見えた。みんな、彼らに会えば、その「業績」を持ちあげるが、自分はそんなに深いつきあいではない、ということもアピールしたいようだ。扇動に関わっていたのに「殺しの現場そのものは見ていない」という新聞社経営者。過激すぎる気勢をあげるシーンは「あくまで映画用」と言ってそそくさと去る政治家。彼らを裏から支援してきたはずの西側国家、権力者たちは自らの手は汚さなかったわけだし、これからも極力、関わり合いを避けるだろう。

アンワルたちは虚勢と孤独の狭間にいるのだ。

だからこそ、自分のたちの生きざまをせめて映像に残そうとして、この映画の製作に賛同したのだろう。カメラに向かって楽し気に殺人方法を教える冒頭から、リアルに吐き出すことをおさえられなくなる圧巻のラスト15分まで、彼の心情の揺れ動くさまが、台本があるかのように描かれていく。元々、殺人の方法も好きな俳優の真似をしながら考えていたというアンワルは、常に演技し続けなければ精神の平衡を保つことができなくなっているのかもしれない。

ラスト近く、大きな滝の前で天国に迎えられているような奇妙なシーンの出来上がりを喜ぶアンワル。そして、自分が責められ役になって苦しむ演技をしている様子をテレビで自慢げに孫に見せるアンワル。

歴史の教科書にはけっして残らないであろう一人の男の心の中にあった自分の人生の肯定への渇望と否定されることへの恐怖。そのモザイクのような心情の積み重ねは一体どこへ向かっていくのだろう。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

イメージワード

  • 不思議
  • 不気味
このレビューは役に立ちましたか?
利用規約に違反している投稿を見つけたら、次のボタンから報告できます。 違反報告
本文はここま>
でです このページの先頭へ