4.0点
…あらすじは、解説のとおり。 東日本大震災3年後、原発事故により立入禁止にされた福島のある村が舞台で、農業を営んでいた沢田総一(内野聖陽)一家、妻(安藤サクラ)、娘、継母(田中裕子)の4人は自宅で住むこと叶わず、仮設住宅で暮らしていた。 その仮説住宅は息が詰まるほどに狭く、哀しみが募る。 夫婦の営みも儘ならず、夜更けに外に出向いて車の中でいたしたり、ラブホに出掛けていたしたり……この時、総一が奥さんにお金を支払おうとする行為が可笑しくて切ない。 総一には腹違いの弟・次郎(松山ケンイ チ)がいたが、彼は10数年?も前に故郷を捨てて出奔したきりだった。 そんな弟が、原発事故の後、立入禁止で無人となった故郷の実家に戻り、一人で暮らしていることを知る。 次郎は、電気もガスもない実家でロウソクを灯し、ご飯とお新香を美味しそうに食べ、畑を耕し、田圃まで作っている。 そんな姿を見た総一が、『なに、お前、バカなことをやってんだ!』と、取っ組み合いの喧嘩になるが、観ているほうとしても、放射能で汚染された土壌では詮方なかろうにという思いが湧く。 そんなある日、高校時代の友人が次郎の住まいに舞い込む。 その友人が言う。 『ここで暮らすってことは、ゆっくりと自殺するようなもんじゃないの?』 それに次郎は答える。 『どこでどう暮らしたって、人間、いつかは死ぬのさ。』 また、高校時代の回想シーンで次のような遣り取りがある、印象深い。 『自然を守るためには、どうしたらいいか?』という先生の質問に、次郎は次のように答えてクラスを沈黙させる。 『人間がいなくなればいい…』 話しが長くなりそうなのでこの辺で止めるが、美しい田園風景と対照的に、廃墟と化した無人の寂れた商店街を淡々と映す出すシーンには、震災の禍根未だ立ち去らずで胸が痛くなった。 また、呆け始めてしまったのか、母親が仮設住宅の立ち並び中で迷子になる場面も痛々しかった。 結末の、立入禁止の実家で暮らすことにした次郎と母親が、被爆という恐怖にもかかわらず田植えをするシーンでは、親子の絆というよりは、ただひたすらに自然・季節の移ろいと共に生き抜こうとする、人間の複雑な気持ちが静かな余韻を奏でていた。 また、無人の地区に流れるドヴォルザークの『家路』は、何とも物悲しかった。 『家路』はあっても、それが途中で断ち切られてしまっているのだから……。 最後に、誠に申し訳ありませんが、方言故なのか、聞き辛い場面が何か所かあったので、☆一つ減じさせていただいた。