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さよなら、人類
2015年8月8日公開

さよなら、人類

EN DUVA SATT PA EN GREN OCH FUNDERADE PA TILLVARON/A PIGEON SAT ON A BRANCH REFLECTING ON EXISTENCE

1002015年8月8日公開

つとみ

4.0

他人の人生を俯瞰して、自分の人生を想う

観始めたら、「生きることについての3部作、その最終章」と書かれてるではないか。なんてこった!1も2も観てないよ! と、思ったけど、どうやら特に問題はないようで一安心。 何度か予告は見たことがあって、ただならぬシュールな雰囲気に「これは迂闊に手を出してはいけないヤツだな」と感じていたのだ。 その時感じていた通り、画面の中央に登場した人物の背後で、同時に違う出来事が起きているのである。ちょっと目を奪われたスキに、背後の人物たちにも動きがある。難易度高ぇよ! 右目と左目で別の出来事を捉えつつ、頭の中はフル回転でその意味するところを想像する。そして容赦なく切り替わるエピソード。 「アレってもしかしてこんな事を表現してるのかも?」と2、3個前のエピソードに思いを馳せつつ、現在進行形のエピソードをやっぱり右目と左目で必死に追いかける。 インタビューやレビューをいくつか読むと、「39個のワンシーン・ワンカットの連続はまるで絵画のよう」と書かれていたが、なかなか上手い例えだ。さながら「さよなら、人類展」を見に来たような感覚で、観客は可笑しくも物悲しく、皮肉と慈愛に満ちた展覧会をコース通りに一周りする。 時々すごく好きな絵があったり、なんじゃこりゃ?と思うような絵があったりする。中心に描かれた人物が魅力的でなくても、背景に描きこまれた人物や風景に惹き込まれる事がある。そんな絵が連続している映画なのだ。 最終章というだけあって、生きることの最後は死ぬことである。死は理不尽に生きることを終わらせる。思えば39個のエピソードには、理不尽なことが多い。 ダンス講師に体をまさぐられることも、商品の代金を払って貰えないことも。何かをしたい、と思った時に対価として行う行為は「そんなことで良いの?」と思うようなハードルの低さもあれば、「そんなことしなきゃ駄目なの?」と思うような嫌悪感を伴うものまで様々。 ハードルが高い方の対価は、求められる側にとっては理不尽でもある。そんな理不尽の連続が生きることなら、生きることの楽しみとは何だろう? でも人はしばらく安否のわからなかった知人と連絡をとったら、何はともあれ「元気そうで良かった」と口にする。生きていること、それだけで「良かった」のだ。 「元気そうで良かった」というセリフや、リパブリック讃歌、サムとヨナタンのおもしろグッズセールストークを劇中何度も聞く。 リパブリック讃歌は日本だと「権兵衛さんの赤ちゃん」の歌詞が有名だろう。同じ歌詞を3回繰り返すこの歌の、その繰り返しの部分がこの映画である。 何度も繰り返すエピソードの最後、オチの部分は観ている我々に託されている。 権兵衛さんの赤ちゃんは風邪なのに湿布を貼られるわけだが、そんなどうしようもない行為もまた一つの答えとして存在していていいのだ。 この映画を観て「オチ」として私たちが出す答え、答えを出そうとする行為、それこそが大事なのである。 私の答えは、「それでも生きることは素晴らしい」だ。そして、理不尽な人生を乗り越えるためにも、誰かと生きることを共にしたい。 誰にでも平等に襲いかかる最後の理不尽の瞬間に、「生きていて良かった」と思うために。

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