アウト・オブ・ブルー

OUT OF THE BLUE

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アウト・オブ・ブルー
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作品情報上映スケジュールレビュー

あらすじ・解説

解説:allcinema(外部リンク)

作品レビュー(3件)

悲しい27.3%絶望的27.3%切ない27.3%泣ける9.1%不思議9.1%

  • mii********

    4.0

    我が子を導いてやれない両親の末路とは

    いまここに ひとつの家族が崩れて散った・・・・・ 救いの無い 虚しさだけを 残して 強烈すぎる作品だった・・・・・ これは傑作なのだろうか 駄作なのだろうか 今の俺には判らない 誰か 誰か教えてくれないか テディベアを抱えて、心の安らぎを保つ為に指しゃぶりをしながら寝る少女 そんな少女が一番大人じゃなかったのだろうか 喫煙 ドラッグ いくら悪ぶってみても少女には真実が見えていた   まやかしの愛情を我が子に注ごうと、それはただ醜いばかり アルコール依存症 麻薬中毒者 ふざけんなよ! それはあんたたちの弱さから招き入れたものだぜ 好きにしな だったら自分自身で勝手に破滅でも何でもしてくれ ・・・・・己が解らないあんたたちにはそれも無理だな・・・・・ 70年代に製作された、アメリカン・ニューシネマ同等に、この手の作品は鑑賞するのにそうとうの覚悟が必要とされるものだ ただ「破滅」をテーマに描こうとするのならば容易いのだろうが 人生の中で一番身近にある両親を信じることが出来ない少女を通して「破滅」へと向わせる作りは本当に胸が痛む思いである これは傑作なのだろうか 駄作なのだろうか 今の俺には判らない 誰か 誰か教えてくれないか いずれにせよ 問題作なのは間違いない

  • hai********

    5.0

    アメリカの夢

    デニス・ホッパー監督作品。 「イージー・ライダー」で脚光を浴び、一転アルコールとドラックで15年間のどん底に。 デニス・ホッパーが完全復帰するのは86年だから、本作はその6年前。 体調も、ハリウッドの中での覚えも、まだ不十分な中で、本作は撮影されたのだろう。  本作は、遅れてやってきた「アメリカン・ニューシネマ」とも言える。 ベトナム戦争停戦後5年… ハリウッドは「アメリカの暗部」ではなく、「アメリカの夢」を描く映画を怒涛のように量産しだす当時、この映画はたいした話題にもならず終演したのではないだろうか。  本作は、ある家庭の惨劇を描いているが「アメリカン・ニューシネマ」の常套手段である、「社会への批判の視点」によって、この事件を美しく飾ろうとはしていない。 その意味で、デニス・ホッパーの時代感覚は極めて先鋭的で、この家庭の悲劇は、この家庭のアイデンティティーの崩壊としてのみ語られている。  男はある事件をきかっけに父としてのアイデンティティーを失い、母は夫を失ったことで自己が崩壊してゆく。この二人の間に生まれた少女シンディーに、この家庭の矛盾が集約されていく。  彼女は、子としての意味だけでなく、女性としての自らの存在理由に迷い、男を憎みながらも、男になろうともがき苦しむ。  社会が悪いと口々に叫ぶことが出来れば、まだ、それは救われる。 「アメリカン・ドリーム」とは、「社会の夢」のことではない。 それは個が目指すべきユートピア。 「アメリカン・ドリーム」と引きかえに、個は、そこで起きる全ての現象を、自らの責任として一手に引き受けなければならなくなったのかもしれない、と思う。  本作は「アメリカの夢」から見放された個の物語でもある。 私はこの映画を観賞して、ふと「新宿西口バス放火事件」を思った。 あの事件が起きたのは1980年。 奇しくもそれは、本作制作の年だ。 

  • tis********

    5.0

    “不協和音”

    誰もが一つの音を持っているとする。 家族と居る時の音、友と居る時の音、社会に出ての音。 協和音となり、美しく響く時、心地よい気分に浸る。 相手を理解し、心を開いたときに奏でる美しい和音。 この映画の主人公シービーという少女が奏でる音は単一で美しく響きたいと願うが、 どこにいても不協和音となる。 不協和音とは不快な音という意味ではない。 不快な音はカコフォニーという別の表現がある。(アメリカHMバンドに由来する) 和音ではあるが濁った、何かかみ合わない、心地良くない音。 それが不協和音。 一つの事件が起こる。 映画はここから始まり、その前の家族を表現しない。 唯一ラストの数分間で以前の「和音」を観ることになる。 衝撃のラストで、協和音であったはずの過去が微妙な不協和音の前兆を秘めていた、いや、既にかみ合っていなかった事を轟音となって教えてくれる。 事件とは父ドンの運転するトレーラーが大勢の人を乗せたスクールバスに突っ込む。 酔って運転し、娘とじゃれあっていた故の事故。 父は刑務所に入り、残された家族は一つの音を失う。 母娘二人の生活は一見支えあっているように見えるが、聞こえる音はどこかズレている。 シービーは夜、可愛らしいパジャマを着て熊のぬいぐるみに話しかけ、指をしゃぶって寝る。 まるで幼い少女のように。 昼は崇拝するELVISの文字が入ったGジャンにGパン姿でパンクロッカーを気取る。 まるで反抗期の少年のように。 どちらもシービーが出す特殊な音だ。 悲しい事にその音はどこでも虚しく鳴り響くだけ。 危険な場所であれ、安全な場所であれ、彼女の居場所は彼女の中にしかない。 母もまた同じだ。 母親を「覆い」、女を「露呈する」、夫に対しては妻を「見せ付ける」 まるですべての場所に違う人物がいるかのように。 この不協和音がいつの日か協和音となる事を心のどこかで願いながら映画を観続ける。 人とは何と偽善な生き物か。 勝手に私に宿った妙な思いやりの心など、 シービーの胸には届くはずが無い。 もしもバラバラであれば一つの音として、一つの光として存在し、 いつしか共鳴する場所や人と出会うだろう。 しかし、シービーの長いようで短い間に形成された音はその行き先を与える事すらない。 「多感な時期」と良くいうが、それだけ多くの事柄を吸収できる時期は限りなく短い。 凝縮された彼女の生きた時間に、彼女は音と光を浴びすぎた。 シドヴィシャス、ロットン、エルビスプレスリーに憧れる理由、 今は無き人物の叫びが痛く胸に突き刺さる理由。 革ジャンを羽織り、ポマードで頭を固めるシービー。 少女である事を捨て、自分を主張し「誰か」に「愛して」欲しいのだ。 幾つもの光がシービーの部屋の窓を通り過ぎる。 印象的なライトの演出が、時と心の流れを表現している。 窓の外に流れるライトの数だけ生きているすべての人が奏でる音など、シービーには聞こえない。 沢山のライトが彼女の部屋の前を通り過ぎても彼女には彼女しか存在しない世界にいる。 父が刑務所から出て、より大きく鳴り響く不協和音。 笑顔で奏でるその音は見事に狂っていた。 かみ合っていたはずの父の存在は、父が棄ててしまった何かの為に、 鳴り響かない、音を出すことすらしない、情けない自我に篭る。 トレーラーが殺した多くの人々。 生き残った彼らもまた、その瞬間から時を失ったのだろう。 そこに家族は無い。 叱ることもできず、意見する事もできない。 目を見る事もできない。 お互いが感じているはずなのに、修正できない心の壁。 自分の出す音に酔いしれ、その音だけを響かせようともがく悲しい生き方。 ラストのたった5分程度でこの映画はすべての答えを出す。 そこまで辿り着くまでに息苦しい上り坂を登り、 頂上から深くもどる事のできない穴を掘る。 飛び込む事を躊躇わず、覗き込む間もなく足を地上から離す。 すべてが無駄なエネルギーだったと・・・・。 【追記】 1980年製作、未公開の作品。デニスホッパーは流石としか言えない。 この時代の日本でこの映画を上映するには日本は浮かれすぎていただろう。 今の時代だからこそ、この家族の奏でた不協和音が理解できるのでは・・・・・・。 思えばそれも情けない。 理解できる世の中になってしまったことを悲しむべきかも知れない。 不協和音は立派な和音だ。 この映画の奏でる音をカコフォニーと感じられない事が虚しい。 ニール・ヤングの奏でる「OUT OF BLUE」が、 悲しい程に美しく鳴り響く。 これぞ和音だ。 これぞ協和音だ。 そう語りかけるように。

スタッフ・キャスト

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基本情報


タイトル
アウト・オブ・ブルー

原題
OUT OF THE BLUE

上映時間

製作国
アメリカ

製作年度

公開日
-

ジャンル