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アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン (2015)

AVENGERS: AGE OF ULTRON

監督
ジョス・ウェドン
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  • みたログ 5,789

3.79 / 評価:5,176件

前作の安易な複製

  • ふかづめ さん
  • 2016年1月14日 0時17分
  • 閲覧数 3923
  • 役立ち度 7
    • 総合評価
    • ★★★★★

持論です。最悪な映画とは10人中7人から気に入られることを想定して作られた、いわゆるそこそこの映画。八方美人映画とも言う(言わんか)。
すなわち、空振りするのを恐れてスイングしない映画だ。

とは言え前作『アベンジャーズ』の全世界興行収入が15億ドルという歴史的メガヒットを叩きだしたのだから、今回も同じものを同じように作るのが安全牌だと踏んだジョス・ウェドンの考え方は商売人としては正しい。そもそもがマーベルヒーロー集結映画という企画自体がキャラクター商法なのだし、自分の推しメンを決めてそのキャラの活躍に一喜一憂するという楽しみ方の本質は、我が国で華々しい経済効果を上げているAKB48そのものなのだ。つまり『アベンジャーズ』は純粋アイドル映画。

しかしだからといって、このうんざりするほど手癖だけで作られた“前作の安易な複製”に熱狂してこのお祭りに乗っかるほどこちらは迂愚ではありません。だからごめんな。
撮り方も構成も前作と似たり寄ったり。基地内でお喋りする人物を痴鈍なカメラで延々切り返し、その合間に豪勢なアクションシーンを挟み、最後は敵味方入り乱れての街中での大乱闘。
言わば会話シーンとアクションシーンが交互に存在するだけの映画だ。ただそれだけ、ザッツオールである。
物語は説明台詞だけで推し進められ、そこには運動性に機能を預けた映像言語というものがまるでない。そしてアクションシーンになると無論カメラや被写体は運動するわけだが、その間物語は完全に停止する。
たとえば『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』に於けるエレベーターから脱出してバイクで高速道路を飛ばし軍の戦闘機を破壊する、組織から排斥された主人公の怒りと孤独を“逃走”という運動のなかに預けて個々のアクションを有機的に数珠繋ぎにした名シーンのように、物語の中に運動があり、運動の中に物語があるといった映像言語を欠くため、“退屈な会話シーンの塊”と“華やかなアクションシーンの寄せ集め”に二分化してしまったフィルムをただ単に交互に見せられる不細工きわまりない141分が俺の眼前に横たわってみせる!

トラウマを蘇らせる能力者を登場させて各キャラの心の闇に迫ったことでキャラクターに深みを与えようとしたそうだが、その断片的なトラウマ映像が軒並み意味不明な上にトラウマ克服のプロセスがまったくないため、前作にも増してキャラクター造形は精彩を欠く。
あまりに唐突なブラック・ウィドウとブルース・バナーの色恋にこちらの感情がまったく追いつかないのは、映画全体が肉体や物理によって構築された感情なき無機的世界の壮大さのみをスケッチしているからだろう。

物量作戦による視覚効果の湯水のごとき投入で図られた全編クライマックス化は、裏を返せば見せ場がないのと同義。映像快楽? 否、“映像による暴力”で我々の瞳は無効化される。
本筋から思いきり脇に逸れ、シナリオ的にあまりに無意味/不要すぎて思わず笑ったハルクVSハルクバスターの一般市民を大いに巻き込んだ都心での仲間割れはかろうじて印象に残った見せ場だが、なぜ印象に残ったかといえばこのシーンが9.11を連想させるビル倒壊に終わるからだ(ほんのりした不快感だが、なぜかここでも笑ってしまった)。

街中を木っ端微塵にして市民を大量虐殺しながら人命救助もするアベンジャーズの矛盾っぷりは、個人的に好きだ。彼らは人類に危機をもたらしたのち、その危機から人類を救ったのだから。空前絶後のマッチポンプ映画。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

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