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赤い玉、 (2015)

監督
高橋伴明
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  • みたログ 119

2.94 / 評価:82件

「まだやれる」を示しそこなった失敗作か?

  • osushinotomodachi さん
  • 2015年9月27日 16時45分
  • 閲覧数 2026
  • 役立ち度 2
    • 総合評価
    • ★★★★★

赤い玉が気になるおじさん達が観客の中心でした。人生の黄昏時をまえにあがく男の物語を期待しての鑑賞でしたが、残念でした。奥田と不二子を中心にしたピンク路線でまとめれば、監督や俳優のキャリアを活かした作品になった可能性があると思うのですが、映画学校の教師が主人公の私小説ならぬ「私映画」で、学生が出演する学生映画になってしまっていると思われます。奥田と不二子のでてくる場面と、学生たちがでてくる場面の落差、高い点数つけている方々は気にならなかったのでしょうか。

「私映画」とすると昭和の視点でつくられるのもしかたないことかもしれませんが、昭和的にいえば「ダサイ」と思われるところを指摘したいと思います。まず、「女子高生」のイメージ。映画のポスターになった写真をみれば一目瞭然ですが、高橋監督の頭の中の女子高生的女子高生(黒くて長い髪と長めのスカートの制服等)。これでは時田の過去のヒト感がでてきません。時田の頭の中の女子高生と現実のギャップが重要ですよね。女優さんはがんばって演じたものと思いますが、見た目も含めて今どきの女子高生的女子高生にすべではなかったでしょうか。それに女子高生と関わる犯罪行為の描き方が今の時代についていっていないと思います。次は学生同士の殴り合いの喧嘩。いったいいつの時代の青春ドラマなんでしょう。さらに雨かささしての撮影シーン。監督が先生をしている学校の宣伝みたいですよね。なんであんな場面があるのでしょう。そして時田の最後のシーン。老いに追われるような状況で飲んだくれてくたばるものの、執筆した脚本はプロデューサに認められていたって、いったいいつの時代のお決まりシーンなんでしょう。

さて、奥田と不二子の関わる部分についてはそれなりに面白かったのですが、意味不明のところがあり、これは説明不足と思われます。トイレットペーパーの意味、赤い玉がでる状況、温泉旅行の場面など、愛人関係が解消されるプロセスをもっとはっきり描いてもらいたかった。赤い玉のようなものが一瞬でてきますが、あそこを話の頂点にもっていってもらいたかったと思います。

結局、教師の仕事がメインで過去のヒトとなりつつある監督が、やっぱり映画をつくるんだといってつくった映画がこの映画だとすると、映画の最後ではプロディーサに認められるという(希望のある)お話にしたものの、実際の映画は・・・というこの現実。高橋監督はすでに高橋教授になってしまっているということの方が、映画以上に年をとるということの意味を示しているように思われます。エロスを撮るつもりが半分は学生映画的映画学校物語となった。監督の興味はエロスと赤い玉にあるのではなく教師となりつつある自身の人生だったのでしょうか。あるいは「赤い玉」は性的な意味ではなく、そもそもが職業人としての終焉のシンボルだったのでしょうか。

映画学校からはなれて、「私映画」ではない「赤い玉」のお話を奥田・不二子を中心にしてつくっていただきたかったなというのが感想のまとめです。お二人の演技があったので星を少しふやしましたが、それでも星二つ。高い評価が理解できません。新人女優への応援でしょうか。トークショーを聞かないと意味がわからない映画は困ります。

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