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杉原千畝 スギハラチウネ (2015)

監督
チェリン・グラック
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3.71 / 評価:1788件

河野大臣、なかなか遣りおるワイ

  • fg9******** さん
  • 2017年6月1日 14時07分
  • 閲覧数 1559
  • 役立ち度 2
    • 総合評価
    • ★★★★★

 …あらすじは、横着をして、解説の次のとおり。
 『1935年、満洲国外交部勤務の杉原千畝(唐沢寿明)は高い語学力と情報網を武器に、ソ連との北満鉄道譲渡交渉を成立させた。
 ところがその後、彼を警戒するソ連から入国を拒否され、念願の在モスクワ日本大使館への赴任を断念することになった杉原は、リトアニア・カウナスの日本領事館への勤務を命じられる。
 同地で情報を収集し激動のヨーロッパ情勢を日本に発信し続けていた中、第2次世界大戦が勃発し……。』
 で、ナチス・ドイツの迫害から逃れようと通過ビザを求めるユダヤ難民がカウナスの日本領事館へ大挙して押し寄せるのだった。
 その数は日に日に増していったので、千畝は、日本政府の了承がないまま難民たちに通過ビザを発給し続けるのだった。
 「日本のシンドラー」と言わしめた外交官・『杉原千畝 スギハラチウネ(センポ)』が、リトアニアにおいて、ナチスから迫害されたユダヤ難民たちに2000枚のビザを発行して6000人のユダヤ難民の命を救った実話だ。
 その助けた命の子孫は現在4万人に及ぶと言う。
 エンドロールでは、実際の『杉原千畝』や奥さんの写真映像も紹介されていて、感動の渦がいや増してきた。
 何故に『杉原千畝』は、信念をもってかくなる行動を執り得たのか?
 それは、母校ハルピン学院の自治三訣の実践なのだろう。
 「1.人のお世話にならぬよう。
 1.人のお世話をするよう。
 1.そして報いを求めぬよう。」
 でも、帰国後の旧外務省関係者の千畝に対する敵意と冷淡さは、2000年に河野洋平外務大臣による名誉回復がなされるまで一貫して続いていたようだ(杉原千畝没後14年)。
 [2000年10月10日の外務大臣河野洋平による演説]
 「これまでに外務省と故杉原氏の御家族の皆様との間で、色々御無礼があったこと、御名誉にかかわる意思の疎通が欠けていた点を、外務大臣として、この機会に心からお詫び申しあげたいと存じます。
 日本外交に携わる責任者として、外交政策の決定においては、いかなる場合も、人道的な考慮は最も基本的な、また最も重要なことであると常々私は感じております。
 故杉原氏は今から六十年前に、ナチスによるユダヤ人迫害という極限的な局面において人道的かつ勇気のある判断をされることで、人道的考慮の大切さを示されました。
 私は、このような素晴らしい先輩を持つことができたことを誇りに思う次第です。」
 河野大臣、なかなか遣りおるワイ。
 話は元に戻って、それにしても、濱田岳はおいしいところを全部掻っ攫っていったな~。
 十分に見応えがある作品だった。

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