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ベトナムの風に吹かれて (2015)

監督
大森一樹
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  • みたログ 111

3.40 / 評価:86件

いやいや、あたしぁ傑作だと思う!

 映画は、ベトナムの日常風景から始まります。そこに、洒落た文字のタイトルと流れる軽快な音楽、活気溢れる街並み。そして、映し出される出演者の数々。ベトナムの役者は知るよしもないけれど、おっとぉ日本側は芸達者を揃えたなぁ、と思いきや、主人公にかかってきた一本の電話により、場面は一転、真冬の雪深い日本へ。お葬式が始まって、残されたお婆ちゃんの寝顔から、いつの間にか場面がベトナムに戻ってきている、とまぁ、物語は快調に進みました。作風的には、昔の日活青春映画のノリかな。
 ずっと家に閉じこもっていたお婆さん。彼女を完璧な医療と介護がなされる施設に入れることが、本当に正しいのかどうか?これは難しい問題です。私も高齢の母親を持つ身。常々自問自答してしまうのは、自分自身が楽をしたいから、そう考えるのではないかということ。そもそも「痴呆老人」とは何なのか?大井玄氏の「痴呆老人は何を見ているか」等を読むと、その答えの一端が見えてきます。痴呆老人と老人性鬱とを見分けるのは、かなりの専門家でなければ、無理な話とか。
 たぶん主人公の母親も最初は鬱だったんじゃないかな。そりゃそうなりますよ。知り合いはどんどん亡くなっていく。自分をかまってくれる相手もいない。体は思う様に動かない。こうなれば健常者でも鬱になります。そして、娘は一大決心をして、母をベトナムに連れて行く…。
 これがもし行き先が日本の地方都市だったらば、そこに住まう人々から、「お金が無いわけじゃなし、なんで施設に入れないんだ。この親不孝者!」と誹られるところでしょう。ところが、当時のベトナムでは、「なんと親孝行な娘だろう。」と思われるんですな。この違いですよ。劇場パンフにて佐藤忠男氏が書いておられますが、これはベトナム社会に対する信頼感があったからこそ、そう決断できたに違いありません。
 日本にだって、本来は、家族を始めとするご近所さん等、気のあった仲間の人々の中で、迷惑をかけながらも、それに感謝しつつ逝くという、文化というか習慣があったはず。文明は、よき文化を駆逐してしまうのでしょうか。
 一方、物語に挟まれるエピソードも、大変興味深いものがありました。学生運動華やかなりし頃の記憶。また、残留日本人やベトナム独立戦争に参加した日本人がいたこと等、歴史の彼方に消え去ろうとしている出来事を、改めて認識させてくれるものでした。それから、老女優の最後の舞台。こんな企画を実現させてくれる社会というか、地域共同体は、本当にうらやましいですね。
 とは言え、現実はそうそう甘いもんじゃありません。痴呆が進み、「便所いきてぇ~」と泣き叫ぶ草村麗子に当惑する松坂慶子。かといって、これが施設に入っていたら、どうなのか?確かに自分自身は気楽なことは間違いないのですが。
 実話である原作は読んでいませんが、お母さんは、おそらく街の暖かい人々の中で、泣き、喚き、大騒動の迷惑をかけながらも、時には大笑いして人生を全うできたんだと思います。
 エンディングにおいて、母親がミュージカル「浦島太郎」の舞台に引っ張り出されます。人は、誰しも人生というドラマの中では主人公であったはず。最後の最期に輝く舞台に立つなんて、なんとすばらしいことでしょうか。お婆さんのはにかんだ笑顔がとても美しく見えました。また、長渕剛の名曲「乾杯」がお別れ会で歌われるのも印象的でした。あの歌詞をこんな風に解釈したのは初めてでしたよ。名曲とは、時も場所もシチューションさえも選ばないのですね。
 エンドロールに映されるスナップ写真も嬉しく、色々と考えされてくれるこの映画、あたしぁ傑作だと思うけどな。

詳細評価

物語
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音楽

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