人間のゆらぎ
- swn さん
- 2018年2月3日 0時33分
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この映画には”ゆらがない人間”と”ゆらぐ人間”の2種類の人間が出てきます。
”ゆらがない人間”はエホバの証人の信者たち。彼らに共通するのは、過酷な現実を目の前にしても、命より生き方(=信仰)を大事にすること。この辺りは、たまに話題になる尊厳死と同じ構造かもしれません。
そして、エホバの証人の信者である主人公も、物語の当初は厚い信仰心からゆらいでいませんでしたが、航空機事故と死の迫った婚約者を目前にして、ゆらぎ始めます。(彼女のこの演技が良かったし、めちゃめちゃかわいかった笑)
反対に、この映画には多くの”ゆらぐ人間”も登場します。物語途中からの主人公もそうですし、姪っ子に謝れない麻薬の運び屋、恐怖心から飛行機に乗ることができない老人とその不倫相手でパートナーを捨てる覚悟をする老婦人。麻薬の運び屋である弟を逃がすために細工をする兄に、ギャンブルをやめられない夫とその夫と別れたいアル中(うつ病?)の妻。みんなそれぞれの”ゆらぎ”を抱えており、それが丁寧に描かれていたと思います。(人によってはまどろっしく感じるかもしれません・・・)
と、自分が感じたところで、一つの疑問が湧いてきます。それは、映画の題名がなぜ”神の”ゆらぎなのか・・・。マーティン・スコセッシの『沈黙』でもそうでしたが、揺らぐのはいつも人間です。そもそも、キリスト教的世界観では神のゆらぎなんて、描きようもないと思うですが、その辺をどう考えてこの邦題にしたのか疑問が残りました。(配給会社がまた余計な仕事をしたのかな、と邪推をしましたが・・・)ちなみに、原題はラテン語で”奇跡”という意味の『MIRACULUM』と言うみたいですね。(全然違うじゃねーか笑)
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