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君と100回目の恋 (2016)

監督
月川翔
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3.26 / 評価:1,192件

モラトリアムからの卒業

  • raz***** さん
  • 2019年8月4日 12時36分
  • 閲覧数 448
  • 役立ち度 1
    • 総合評価
    • ★★★★★

ふわっとした青春映画。彼がなぜ彼女の死を止められなかったのか良く分からない。本気を出せば止められるはずだろうと思えてしまう。そう思うと、彼女の死が大学三年の夏であることに何か意味があるように思えてくる。どんな意味かというと、おそらくそれはモラトリアムからの卒業。就職を本気で考える時期。

彼女は映画のストーリーの中で、少女のころからの恋を十分に堪能し、仲間との友情を温め、そして天の国へと旅立った。社会人として働く大人の世界を”天の国”と見立てればこの映画は少女がバンドのライブをやりきって友達との眩しい青春を謳歌し何の悔いも残さずモラトリアムを卒業して大人の世界に踏み入れたというストーリーになる。

彼が彼女の死を100回阻止しようとしても達成できなかったのは、それが彼女の運命であるというよりも、人間は歳とともにやるべきことが変わってくるという意味であり、恋する少女から卒業し大人へと変わろうとする彼女を止める権利は恋人である彼にもありはしないのだろう。

「あおいちゃんの運命を変えたんじゃない。お前の運命を変えられなかっただけ」というセリフがあった。最初は意味がわからなかった。でも、モラトリアムからの卒業という視点で考えれば意味は分かる。

映画の中で登場した”人生のレコード”は彼の人生に紐づいていて、彼女の人生とはかかわりがないということだ。彼はいつまでもモラトリアムから脱することができない人間であったのに対して彼女はモラトリアムから脱した。

映画の前半、彼女は記憶を持ったままタイムリープした。それは友達と喧嘩したことで青春が不完全燃焼だったからだ。悔いを残したままではモラトリアムから卒業できない。



この映画は、子供の視点から見た場合と、大人の視点から見た場合で、ストーリーの意味が真逆になる。100回という回数は、彼女のことをそれだけ愛していたという証拠のようにも見えるし、逆に、いつまでも少年のころの恋を引きずっていて大人になれない心の弱さとも解釈できる。

騙し絵のようなストーリーで技巧は凝らされているのだが、この映画の青春は正直に言って薄っぺらい。どちらにも見えるというのは、物語の厚みを半分にする行為であるので、奥行きが狭くなる。主演2人(彼と彼女)以外の友達連中は空気でしかなく、いてもいなくても良い感じだった。

詳細評価

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