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RANMARU 神の舌を持つ男 (2016)

監督
堤幸彦
  • みたいムービー 71
  • みたログ 1,441

3.02 / 評価:1,328件

ガチガチの昭和生まれである

  • mos***** さん
  • 2017年5月3日 12時47分
  • 閲覧数 1244
  • 役立ち度 1
    • 総合評価
    • ★★★★★

シチュエーションに応じたギャグが次から次へと出てきて楽しい。

佐藤二朗のツッコミがキモ。逆に、それが無いと、ギャグにも、芝居にも、まして映画にもならない。

向井理は、やはりここでも、主人公といえども、安定の無個性だった。

木村文乃がちゃきちゃきの磊落女を演じていて、元来のキャラクターから外れて、かなり頑張っている、という印象で好感が持てた。ただし笑うとナルトのようなところに皺が寄るのが不思議だった。ただし私はよく見るその主人公らしきキャラの顔を知っている以外ナルトのことは知らず、あの線が、髭なのか皺なのか傷なのか、知らない。

映画館で隣に座った人が、彼氏でも彼女でも友人でも知人でも父母でも姉妹でも兄弟でも、いかなる悔悟も残さない。何も残らない良心的映画。



しばしば映画につかわれる批判に「何も残らない」というのがあるが、私は、何も残らない映画を、積極的に見たいと思う。

人様のことは知らないが、多くの人が、そうだ、とも思う。

忙しい一日の終わりに、あるいは、しばし現実を忘れたいために、感動的なもの、まじめな大作よりも、軽い映画を選ぶことは、きっと誰しもあることだろう。

じっさい、何も残らない映画を見たい時のほうが、何か残る映画を見たい時より、ずっと多い。

そこで、面白そうなものをチョイスして見るのだが、「何も残らない」映画が、意外にすくないことに気づく。

サクッと笑って寝るつもりが、逆に溜まってしまったり、退屈のあまり中途で眠ってしまったり、そんな晩が何度かあると、あたらずさわらず「何も残らない」映画、というものの希少性に気づいてくる。

そこに気付いているなら「何も残らない」(でもそこそこ面白い)映画を、くだらないと一蹴してしまうのは、軽率だと、私は思う。

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