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太陽の下で -真実の北朝鮮- (2015)

V PAPRSCiCH SLUNCE/UNDER THE SUN

監督
ヴィタリー・マンスキー
  • みたいムービー 64
  • みたログ 127

3.67 / 評価:100件

"異質"な体制下の、"普通の"日常

  • mkn******** さん
  • 2017年2月19日 10時42分
  • 役立ち度 1
    • 総合評価
    • ★★★★★

北鮮において当局公認でドキュメンタリーを撮ろうとしたらドキュメンタリーではなくなったというドキュメンタリー。
「ドキュメンタリーを撮ろうとしたら台本を渡され、役者が出てきたので腹いせに舞台裏を撮ってやった」という触れ込みだが、他のレビューでも指摘されているとおり、隣国にあって北鮮の内部事情が伝わってくる我々からすれば特段目新しい真実でもない。
ただひたすらメイキング映像が続いて退屈の極み。はっきり言って、裏を見せなくとも似非ドキュメンタリーであることは、豪華過ぎる食事、生活感の無い部屋、そして、あらゆる役者(北鮮においては、全住民が役者だ)から発せられる大仰な定型句により、すぐわかるから、そのまま「北鮮公認ドキュメンタリー」と銘打って公開したら面白かったろう。
(しかし、つい最近まで北鮮による日本人拉致など存在しないと言い張るのが日本の国会に議席を有する政党の関係者にいたからなあ…)
そういう周知の話なので、他に何らかの意義を見出だそうとする人の多くは、最後の涙のシーンに着目する。年端も行かない子供が訳もわからず何テイクもさせられたら誰だって泣くものだが、その場面を編集で最後に持ってくるだけで、意味ありげなシーンになる。まさに労少なくして益多しだ。

映像に表される彼の地は我々からすると極めて“異質”であり、異文化理解のための良い教材になること請け合いだが、落ち着いて考えると、彼らのやっていることは意外と“普通”だ。
まず、北鮮において公的な「映画」といったら政策映画以外あり得ない。したがって、当局の人間が介入するのは“当たり前”である。
実情をありのまま出すという概念が政策上無いので、「ドキュメンタリー」は彼等の解釈では「ドキュメンタリー風政策映画」となり、日本で言えば政府広報なので政府に都合の悪い部分を見せないのも“当然”。
登場人物や台詞は仕込みばかりだが、仕込み、やらせ、意図的な編集による印象操作は日本の民放テレビ局もやっているところで、それとどれだけの差があると言えようか(マスコミもまた権力である)?
「彼等の教育=洗脳」との見方もあるが、教育の本義は国民の形成であって、北鮮が米韓と戦争中であり、日帝打倒が金王朝の正統性の根拠である以上、別におかしな教育内容でもない。
北鮮住民が金ファミリーを讃える場面を我々は冷笑しながら見るが、国家への忠誠を求めることはアメリカでも行われている。北鮮においては国家よりも党、党よりも金が上位にあるので、忠誠の対象が国家から金に置き換わるだけだ。それが異常だとする考えもあろうが、そもそも北鮮は、我々の解釈しているところの「民主主義」体制ではない。依って立つ所が同じはずだと思い込んでいるから異常に見えるだけだ。
イベントに子供達が動員され、行進したり、宣言したり、歌ったりするのは、日本においても8月の広島・長崎を始めとする様々な場面で見慣れた風景だ。お偉いさんの形式ばった挨拶や老人の長話に子供達が退屈するのも、我々の経験と何等異なるところはないだろう。

というわけで、彼等は彼等の体制の中で、彼等なりに“普通”の行動をしている。ヒトラー政権下のドイツ国民が普通の人々だったように、北鮮の人々も普通の人々である。

そういう意味では、極めて普通の退屈な映画だったが、唯一驚くべきことがあるとすれば、今だに北鮮の体制シンパが日本に、日本人に、少ないながらも存在するということだろう。

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