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たかが世界の終わり (2016)

JUSTE LA FIN DU MONDE/IT'S ONLY THE END OF THE WORLD

監督
グザヴィエ・ドラン
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3.09 / 評価:599件

解説

『わたしはロランス』『Mommy/マミー』などで、若くしてずば抜けた才能を発揮してきたグザヴィエ・ドランが監督した家族の物語。ある決意を胸に久々に帰省した主人公と家族が再会するものの、お互いに距離がうまくつかめずぎくしゃくする様子を描写する。ギャスパー・ウリエル、レア・セドゥ、マリオン・コティヤール、ヴァンサン・カッセルらフランスを代表する俳優たちが結集。絶望の中の希望の光が胸を打つ。

シネマトゥデイ (外部リンク)

あらすじ

劇作家として成功したルイ(ギャスパー・ウリエル)は、家族に自分の死が近いことを伝えるために12年ぶりに里帰りする。母マルティーヌ(ナタリー・バイ)は息子の好物をテーブルに並べ、幼少期に会ったきりの兄の顔が浮かばない妹シュザンヌ(レア・セドゥ)もソワソワして待っていた。さらに兄アントワーヌ(ヴァンサン・カッセル)とその妻カトリーヌ(マリオン・コティヤール)も同席していて……。

シネマトゥデイ (外部リンク)

映画レポート

(C)Shayne Laverdiere, Sons of Manual
(C)Shayne Laverdiere, Sons of Manual

「たかが世界の終わり」この地球という「家」とともに、われわれはどこに行こうとしているのか?

 映画の冒頭、暗闇の中で走行音らしきものがじわじわと聞こえてくる。それが大きくなるとともに画面も明るさを増し、ノイズの中から穏やかなピアノの音が聞こえてくる。そしてようやくそこが飛行機内だと分かる。それまでどれくらいの時間が経っただろうか。30秒くらい? あるいは1分? そのほんの少しの間が、果てしなく長く感じる。その不安と期待。私はどこにいるのだろう、どこに向かっているのだろう。そんな揺れる思いが、映画の始まりを決定づける。ああ、こんな映画の始まりの感覚を味わわせてくれる映画は1年に何本あるだろう。主人公の旅に、私たちも確実に付き合うのだ。その緊張感に、身体が静かに震える。いや、飛行機の振動に体が反応しているのか?

 主人公は家に戻るところである。12年ぶりに戻るのだと、ナレーションが語る。もうすぐ死ぬのだという。お別れの帰郷である。だが彼を待つ家族はそんな感傷をあっという間に吹き飛ばす。いったいどんな暮らしを彼らはしているのだろう。普通では考えられない言い争いの数々。むちゃくちゃである。しかし彼らはそうやってもう何年も共に暮らして来たのだ。争いだらけ。どうして彼らはそこに一緒に暮らすのか、主人公の兄夫婦もどうして離婚しないのか、映画を最後まで見ても誰も説明できないだろう。そこに家があるからだとしか答えることはできない。

 しかし画面に映るのは、主人公と家族の顔ばかりである。いやもちろん顔以外のショットがないわけではないのだが、罵り合う彼らの言葉とはこの顔なのだと言わんばかり。そしてそれを静かに聴き続ける主人公の微笑み。家という枠の中に顔が溢れている。それをみる映画館という枠の中にも顔が溢れている。さらに枠を広げると地球という枠の中にも顔が溢れている。そこからは誰も出ていくことができない。死ぬことでしか。いや死んでも出て行けないかもしれない。この地球という「家」とともに、われわれはどこに行こうとしているのか? 冒頭の飛行機シーンの期待と不安と緊張が、映画を観終わった後、再び静かに身体を震わせた。(樋口泰人)

映画.com(外部リンク)

2017年2月9日 更新

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