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わたしたち
2017年9月23日公開

わたしたち

THE WORLD OF US

942017年9月23日公開

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4.0

ネタバレ「未熟な脚本家」と「優秀監督」を兼務か?

自身の子供時代のトラウマを未だ処理しきれていないらしい監督が、もうあと十年待てずに未熟者のまませかせかと創ってしまった半端映画。キャスティング(特に主演の女の子)と演出(もちろん子役たちへの)が最高であるだけに、もったいない。脚本が中盤以降、悪い。 冒頭、残酷じゃんけんを見る主役ソンの表情の移ろい(への徹底した寄せ)に引き込まれない鑑賞者はまずいないだろう。 だが、心込めて作ったノリマキを寝起きのジアに拒絶されるシーンは何だ? その直前にジアのつらさも理解した我々だけれども、「ジアって、ひどいな」とどうしても思う。 もしも、ここでソンが何らかの鮮明な抗議をしていれば、二人のそれからの押し引きを我々はふくよかに見守ることができた。(やりとりの中身は無限にさまざまありえたはずだ。『殴られたから殴り返す』とかの次元とはこれは違う。監督も我々も、勘違いしてはいけない。要は『つどつどの、最適な対処法』を探す意志の有無である。) 以後もソンへの我々の好感はもちろん続くが、ジアからの圧迫感は、やがて(ジア役のふてぶてしい声・外見・仕草がどちらかというと悪い方へ響いて)ジアの背後の監督への不信感を招いた。 決定的なのは、夏休み明けの教室シーンだ。ハブりを生きがいとするボラ、に搦め捕られてしまったジアが、ソンを迫害する。ソンよ、怒るならここだろッ?! どんな弱々しい怒り方でもいいからさ。……小声の「何よぅ」さえここで言えないソンに、我々はいったいどう感情移入し続けたらいいのか?(『殴り返すかどうか』なんてことじゃなくてだ!) 以後はもう、ストレスフルなソンを限りなく気の毒に思いながらも、グズグズのソンをいつしか映画ごと捨ててしまいたくなる。つまり、「もう、おまえになんかつきあってらんねえよ。裏切られても踏みつけられてもそんなに『友達』が欲しいなら、どっかで買ってきな」! ソンはグズ。ジアはアホでキチガイ。ボラたちはゴミクズ。 いっそのこと、遠足帰りに交通事故にでも遭って(よりによって)ソンとジアとボラの三人が同じ病院の三人部屋に同時入院、そしてソンとジアが首領ボラをいじめ返したり、ジアとボラがやっぱり自然にソンをいじめたり、まさかのボラとソンが組んでジアをいじめたりして、いろいろいろいろあったのちに、退院までに三人仲よくなってハッピーエンド!───の方がはるかにいいと思う。 そこまで柔軟な発想は、できないか? じゃあ、せめて、ソンもジアもボラもみんな根はいい子、という設定にしてほしい。ボラの内面にまで踏み込んでさ。悪人を一人も作らずに「いじめというのは、いじめられる子も、いじめる子も、傍観する子も、そしてフラフラ立場を変える子も、みんな傷つくんだよ。ね、やめようよ。みんな仲よくしよう。たった数年間の学校生活、せっかく出会ったんだもん、卒業まで、楽しく行こうよ」という王道をなぜ率直に肯定しない? なぜソンだけをキリストみたいにして「裏通り以外は道じゃない」みたいな複雑微妙なラストシーンで世間から映画作りセンスだけで褒められようとする? 老婆心(俺は老婆じゃないが)で一つ教えてやろう。──────わが国の児童文学の名作「コタンの口笛」(石森延男/昭和32年)を、もしもハングル訳があるなら監督は是非読むべきだ。 北海道を舞台に、貧しいアイヌの姉弟が中学や小学校で和人(日本人)たちから多くの理不尽ないじめを受け、家庭のさらなる不幸もあってそれぞれ死を決断するところまで追い詰められるのだが、稀少な親友たちや温かで行い正しい大人たちに支えられ、試練の果てに、仇敵だったクラスメートたちと魂の底から和解し、明日への光を見つける大感動作だ。(世界文学の最高峰がドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」なら、日本文学の最高峰がこの「コタンの口笛」だと私は断言できる。両作とも、じつはほぼ同じ主題をもつ。) 「殴られて殴り返してたら、いつ遊ぶの?」なんていう小生意気な半端クリスチャン調は、やめてもらいたい。説教臭いだけだから。「コタンの口笛」には、魂の極限状況を経て「一番憎い相手を、恕(ゆる)し、愛(いと)おしめるようになる」までの心の変化が百点満点の説得力で描かれている。聖書だって作中に堂々出てくるぜ。 そういうわけで、まだまだ人生の学びと思索が足りないようである監督自身にとって、創るのが十年ぐらい早すぎたために、「わたしたち」という映画は惜しくも凡作で終わっている。四つも私が進呈した星は、主演の少女の魅力・努力(と各演出)へのご褒美にすぎない。 本当に脚本が優れていれば、不細工な少女を主演させても名作になるはず。ただし金を払って劇場で観る我々にとっては、いじらしく美しく大変に好印象な少女を90分見つめることができて僥倖だったな、と今回は映画文化そのものに感謝したくはある。

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